宋名臣言行録 / 後集巻三・張方平
公年十三入應天府學頴悟絶人家貧無書常就人借三史旬日輒歸之曰吾巳得其詳矣凡書皆一閲終身不再讀屬文未嘗起草宋綬蔡齊見之曰天下竒才也共薦之
新字:公年十三入応天府学頴悟絶人家貧無書常就人借三史旬日輒帰之曰吾巳得其詳矣凡書皆一閲終身不再読属文未嘗起草宋綬蔡斉見之曰天下奇才也共薦之
書き下し
公年十三、應天府學に入る。穎悟人に絶す。家貧しくして書無し。常に人に就きて三史を借り、旬日にして輒ち之を歸して曰く、吾已に其の詳を得たりと。凡そ書は皆一閲して終身再び讀まず。文を屬するに未だ嘗て草を起こさず。宋綬・蔡齊之を見て曰く、天下の奇才なりと。共に之を薦む。
現代語訳
張方平は十三歳で応天府の学に入った。理解の速さが人並みはずれていた。家が貧しくて書物がない。いつも人から三史を借りては、十日ほどで返して言った。「私はもう細かいところまで分かった」。およそ書物はどれも一度目を通せば、生涯二度と読まなかった。文章を書くのに、下書きをしたことがない。宋綬と蔡斉がこれを見て「天下の奇才である」と言い、そろって推薦した。
解説
借りた本を十日で返す少年の話です。**私はもう細かいところまで分かった。**言い方が強い。ざっと読んだ、ではなく、詳しいところまで得た、と言っています。そして生涯の癖として続きました。**およそ書物はどれも一度目を通せば、生涯二度と読まなかった。**文章も同じです。**下書きをしたことがない。**同じ時代に、欧陽脩は写しながら暗記し、呉奎は二十年夜通し読みました。持たざる者の学び方が、人によってまるで違う形で残っています。
この章句が説くこと
家貧しくして書無し常に人に就きて三史を借る旬日にして輒ち之を帰して曰く吾已に其の詳を得たり凡そ書は皆一閲して終身再び読まず文を属するに未だ嘗て草を起こさず記憶貧しさ
関連する章句
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『宋名臣言行録』後集巻二・歐陽修公少き時、里閭より書を借りて讀み、或いは之を抄す。之を抄し畢わらずして、已に誦を成せり。
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『宋名臣言行録』後集巻七・司馬光幼き時、記誦の人に如かざるを患う。羣居して講習し、衆兄弟既に誦を成して遊息す。獨り帷を下ろし編を絶ち、能く倍誦するに迨びて乃ち止む。力を用うること多き者は功を收むること遠し。其の精誦する所は乃ち終身忘れざるなり。公嘗て言う、書は誦を成さざる可からず。或いは馬上に在り、或いは中夜寝ねざる時に、其の文を詠じ其の義を思わば、得る所多からんと。
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『宋名臣言行録』後集巻二・歐陽修張舜民京に遊び、先達に謁を求む。是の時、公と司馬公・王荊公とは學者の趨る所なり。諸公の論は行義文史に於いて多し。惟だ公のみ與に吏事を談ず。既に之を久しくして、請う有らざるを免れず。大凡そ學ぶ者の先生に見ゆるは、道德文章を以て聞かんと欲せざるは莫し。今先生は多く人に教うるに吏事を以てす。未だ喩らざる所なりと。公曰く、然らず。吾子は皆時才なり。異日事に臨まば、當に自ら之を知るべしと。
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『宋名臣言行録』前集巻六・晏殊公の父は本と撫州の手力節級なり。公、幼くして能く文す。楊大年、以て聞す。時に年十二。真宗、面のあたり詩賦を試む。其の宿搆なるかを疑う。明日、再び試むるに、文采愈々美なり。上大いに之を竒とす。即ち祕書省正字に除し、龍圖閣に於て書を讀ましむ。