宋名臣言行録 / 前集巻三・曹瑋
公為將幾四十年用兵未嘗敗衂尤有功于西方舊羌殺中國人得以羊馬贖死如羌法公謂如此非所以尊中國而愛吾人奏請不許其贖陜西嵗取邉人為弓箭手公以塞上廢地募人為之若干畆出一卒若干畆出一馬至其種歛為發州兵戍守至今邉賴以實所募皆為精兵
新字:公為将幾四十年用兵未嘗敗衂尤有功于西方旧羌殺中国人得以羊馬贖死如羌法公謂如此非所以尊中国而愛吾人奏請不許其贖陜西歳取邉人為弓箭手公以塞上廃地募人為之若干畆出一卒若干畆出一馬至其種歛為発州兵戍守至今邉頼以実所募皆為精兵
書き下し
公、將と為ること幾んど四十年。兵を用いて未だ嘗て敗衂せず。尤も西方に功有り。舊、羌の中國の人を殺すは、羊馬を以て死を贖うを得ること羌の法の如し。公謂えらく、此くの如きは中國を尊び吾が人を愛する所以に非ずと。奏請して其の贖を許さず。陜西、歳に邉人を取りて弓箭手と為す。公、塞上の廢地を以て人を募りて之を為さしむ。若干畆にして一卒を出だし、若干畆にして一馬を出だす。其の種歛に至りて州兵を發して戍守と為す。今に至るまで邉之に賴りて實つ。募る所は皆な精兵と為る。
現代語訳
公は将であることほぼ四十年、兵を用いて敗れたことがなかった。とりわけ西方で功があった。従来、羌の者が中国の人を殺しても、羊や馬で死罪を贖うことができた。羌の法のとおりであった。公は「これでは中国を尊び、わが民をいたわることにならない」と考えた。奏上して、その贖いを許さないこととした。陝西では毎年、辺境の民を取って弓箭手とした。公は塞のそばの荒れ地を使って人を募り、それに当てさせた。何畝で兵を一人出し、何畝で馬を一頭出す、と定めた。種蒔きや刈り入れのときは州の兵を出して守備に当てた。いまに至るまで辺境はそれによって満たされている。募った者はみな精鋭となった。
解説
二つの制度を作った条です。一つ目が贖罪の廃止でした。**羌の者が中国の人を殺しても羊や馬で死罪を贖える。これでは中国を尊び、わが民をいたわることにならない。**命の値段が土地によって違う状態を止めています。二つ目が屯田兵で、荒れ地を配って何畝で兵一人、何畝で馬一頭と定めた。守る人を外から連れてくるのではなく、そこに住まわせて作りました。
この章句が説くこと
羌の中国の人を殺すは羊馬を以て死を贖うを得る此くの如きは中国を尊び吾が人を愛する所以に非ず若干畆にして一卒を出だし若干畆にして一馬を出だす法屯田対等
関連する章句
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