宋名臣言行録 / 前集巻十・石介
張安道雅不喜介謂狂譎盗名所以與歐范不足至人目以姦邪一日謁曽祖至祖父子容書室中見介書曰吾弟何為與此狂生遊又問黄景㣲何在問前日狂生以羔鴈聘之不受何不與喫了羊着了絹一任作怪何足與之較辭受義理也曽祖除御史中丞固辭不拜石介以書與祖父以不拜為非其略云内相為名臣子容為賢子天下屬望所係非輕豈可以辭位為亷安道見者此書也
新字:張安道雅不喜介謂狂譎盗名所以与欧范不足至人目以姦邪一日謁曽祖至祖父子容書室中見介書曰吾弟何為与此狂生遊又問黄景㣲何在問前日狂生以羔鴈聘之不受何不与喫了羊着了絹一任作怪何足与之較辞受義理也曽祖除御史中丞固辞不拝石介以書与祖父以不拝為非其略云内相為名臣子容為賢子天下属望所係非軽豈可以辞位為亷安道見者此書也
書き下し
張安道、雅より介を喜ばず、狂譎にして名を盗むと謂う。歐・范と足らざる所以にして、人の姦邪を以て目するに至る。一日、曽祖に謁し、祖父子容の書室に至り、中に介の書を見て曰く、吾が弟、何爲れぞ此の狂生と遊ぶやと。又た問う、黄景㣲は何くに在りやと。問う、前日、狂生、羔鴈を以て之を聘するも受けずと。何ぞ羊を喫し了り絹を着け了りて、一に怪を作すに任せざる。何ぞ之と辭受義理を較ぶるに足らんやと。曽祖、御史中丞に除せられ、固辭して拜せず。石介、書を以て祖父に與え、拜せざるを以て非と爲す。其の略に云う、内相は名臣爲り、子容は賢子爲り。天下の屬望の係る所は輕きに非ず。豈に位を辭するを以て亷と爲す可けんやと。安道の見し者は此の書なり。
現代語訳
張方平はもともと石介を好まず、気が狂って人をたぶらかし、名を盗む者だと言っていた。そのため欧陽脩・范仲淹とも折り合わず、人から奸邪よばわりされるまでになった。ある日、私の曽祖父を訪ね、祖父の子容(蘇頌)の書斎に入って、そこに石介の手紙があるのを見て言った。「わが弟よ、どうしてこんな狂人と付き合うのか」。また尋ねた。「黄景微はどこにいる」。そして言った。「先日、あの狂人が羔と雁(師を招く礼物)を贈って招いたのに受けなかったそうだが、羊を食い、絹を着てしまって、あとは好きなだけ奇矯にふるまわせておけばよいではないか。あんな相手と、受けるか断るかの義理などを比べ論じるに足るものか」。曽祖父は御史中丞に任じられ、固く辞退して拝命しなかった。石介は祖父に手紙を送って、拝命しないのは間違いだとした。その要旨にこうある。「内相は名臣であり、子容は賢い子である。天下が期待を寄せているところは軽くない。どうして位を辞退することをもって清廉とできようか」。張方平が見たのは、この手紙であった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『宋名臣言行録』前集巻七・范仲淹歐・余・王・蔡、諌官と為る。時に之を四諌と謂う。四人、力めて石介を引く。執政、之に從わんと欲す。公、參政と為り、獨り曰く、介は剛正、天下の聞く所なり。然れども亦た異を好む。諌官と為らしめば、必ず行い難きの事を以て人君に責むるに必行を以てす。少しく其の意に拂らば則ち裾を牽き檻を折り、叩頭して血を流し、為さざる所無からん。主上は春秋に富み、失徳無し。朝廷の政事も亦た自ら修舉す。安んぞ此の諌官を用いんやと。諸公、其の言に伏して罷む。
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『宋名臣言行録』後集巻三・張方平上將に介甫を召し用いんとす。公言う、安石は言僞にして辨、行僞にして堅。之を用いば必ず天下を亂さんと。是れに由りて介甫深く之を怨む。
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『宋名臣言行録』後集巻二・富弼公亳より汝に移り、南京を過ぐ。張安道留守なり。公來たりて見え、坐すること之を久しくす。公徐ろに曰く、人は固より知り難きなりと。安道曰く、王安石を謂うか。亦た豈に知り難き者ならんや。往年方平貢舉を知る。或るひと安石に文學有れば宜しく辟して以て考校せしむべしと薦む。姑く之に從う。安石既に來たり、一院の事皆之を紛更せんと欲す。方平其の人を惡み、檄して以て出だす。此れより未だ嘗て與に語らざるなりと。富公首を俯して愧色有り。蓋し公は素より荊公を喜ぶ。位を得て天下を亂すに至りて、方に其の奸を知るなり。
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『宋名臣言行録』後集巻八・吕公著介甫は晦叔と素より親し。臺諫に横議多きを患う。故に晦叔を用いて中丞と爲す。既にして天下皆條例司の民の害と爲るを患う。晦叔乃ち復た條例の不便を言う。介甫晦叔の己に叛くを以て之を怨むこと尤も深し。已にして上執政に語る、呂公著嘗て韓琦將に晉陽の甲を興して以て君側の惡を除かんとすと言えりと。介甫因りて用いて晦叔の罪と爲し、頴州を知せしむ。
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『宋名臣言行録』後集巻五・范鎮後に上言す、臣の言行われず。復た朝に立つに顔無しと。致仕を請う。疏五たび上る。最後に安石の喜怒を以て賞罰を爲すを指言し、且つ曰く、陛下に納諫の資有るに大臣は拒諫の計を進む。陛下に愛民の性有るに大臣は殘民の術を用うと。安石大いに怒り、自ら制を草して極口に公を詆り、翰林學士を落として本官を以て致仕せしむ。聞く者皆公の爲に懼る。公表を上りて謝す。其の略に曰く、身を乞いて去ると曰うと雖も、敢えて憂國の心を忘れんやと。又た曰く、望むらくは陛下、羣議を集めて耳目と爲し以て壅蔽の姦を除き、老成に任じて腹心と爲し以て和平の福を養えと。天下聞きて之を壯とす。安石之を詆ること深しと雖も、人更に以て榮と爲す。
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『宋名臣言行録』前集巻十・石介介既に卒するや、夏英公、仁宗に言いて曰く、介は實は死せず、北のかた胡に走れりと。尋いで㫖有りて、介の妻子を江淮に編管す。又た中使を出だして京東部刺史と、介の棺を發きて以て虚實を驗せしむ。是の時、吕夷簡、京東轉運使爲り。中使に謂いて曰く、若し棺を發きて空しくして、介果たして北に走らば、則ち孥戮すと雖も以て酷と爲すに足らず。萬一、介の屍在りて未だ嘗て叛き去らずんば、即ち是れ朝廷故無くして人の塜墓を發くなり。何を以て後世に示さんや。介の死するや、必ず棺殮の人有り。及び内外の親戚、及び塟に㑹する門生、無慮數百なり。柩を舉げ棺を空しくするに至りては、必ず㐫肆の人を用う。今皆檄して召して此に至らしめ、之を劾問し、苟しくも異説無くんば、即ち皆軍令狀を具せしめて以て之を保任せしめば、亦た以て詔に應ずるに足るなりと。中使大いに以て然りと爲す。遂に數百狀を合わせ、皆罪を結びて保證す。中使持ちて以て入奏す。仁宗も亦た竦の譛を悟る。尋いで㫖有りて、介の妻子を放ちて鄉に還らしむ。而して世、夷簡を以て長者と爲す。