宋名臣言行録 / 後集巻九・蘇軾
東坡下御史獄張安道致仕在南京上書救之欲附南京逓府官不敢受乃令其子恕持至登聞鼓院投進恕徘徊不敢投久之東坡出獄
書き下し
東坡御史の獄に下る。張安道致仕して南京に在り、書を上りて之を救わんとす。南京の逓に附せんと欲するも府官敢えて受けず。乃ち其の子恕をして持ちて登聞鼓院に至りて投進せしむ。恕徘徊して敢えて投ぜず。久しくして東坡獄を出づ。
現代語訳
東坡が御史の獄に下った。張方平は隠退して南京にいたが、上書してこれを救おうとした。南京の駅逓に託そうとしたが、府の役人はあえて受け取らなかった。そこでその子の恕に持たせて登聞鼓院まで行き、投じさせようとした。恕は行きつ戻りつして、ついに投じなかった。久しくして東坡は獄を出た。
解説
救おうとした上書が、二度止められた話です。一度目は役人が受け取りませんでした。二度目は、届けに行った本人が投じませんでした。**恕は行きつ戻りつして、ついに投じなかった。**臆病に見えます。この段だけ読めば、助けたい気持ちが足りなかったように読める。そして結末は、上書と関係なく訪れました。**久しくして東坡は獄を出た。**この一件の意味が反転するのが、次の段です。
この章句が説くこと
東坡御史の獄に下る張安道致仕して南京に在り書を上りて之を救わんとす乃ち其の子恕をして持ちて登聞鼓院に至りて投進せしむ恕徘徊して敢えて投ぜず久しくして東坡獄を出づ救助上書
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