宋名臣言行録 / 前集巻七・范仲淹
仁宗時西戎方熾韓公為經略招討副使欲五路進兵以襲平夏時公守延州堅持不可時尹洙為經略判官一日將命至慶州約公以進兵公曰我師新敗士卒氣沮但當自謹守以觀其變豈可輕兵深入耶以今觀之但見敗形未見勝勢也洙歎曰公于此不及諱公也韓公嘗云大凡用兵置勝敗於度外今公乃區區過慎此所以不及也公曰大軍一動萬命所懸而乃置於度外仲淹不見其可洙議不合遽還魏公遂舉兵入界次好水川元昊設伏全師陷沒大將任福死之魏公遽還至半途而亡者父兄妻子數千人號於馬首皆持故衣紙錢招魂而哭聲震天地魏公不勝悲憤掩泣駐馬不能前者數刻公聞而歎曰當是時難置勝敗於度外也
新字:仁宗時西戎方熾韓公為経略招討副使欲五路進兵以襲平夏時公守延州堅持不可時尹洙為経略判官一日将命至慶州約公以進兵公曰我師新敗士卒気沮但当自謹守以観其変豈可軽兵深入耶以今観之但見敗形未見勝勢也洙嘆曰公于此不及諱公也韓公嘗云大凡用兵置勝敗於度外今公乃区区過慎此所以不及也公曰大軍一動万命所懸而乃置於度外仲淹不見其可洙議不合遽還魏公遂舉兵入界次好水川元昊設伏全師陥没大将任福死之魏公遽還至半途而亡者父兄妻子数千人号於馬首皆持故衣紙銭招魂而哭声震天地魏公不勝悲憤掩泣駐馬不能前者数刻公聞而嘆曰当是時難置勝敗於度外也
書き下し
仁宗の時、西戎方に熾んなり。韓公、經略招討副使と為り、五路より兵を進めて以て平夏を襲わんと欲す。時に公、延州を守り、堅く持して不可とす。時に尹洙、經略判官為り。一日、命を將いて慶州に至り、公に約するに兵を進むるを以てす。公曰く、我が師新たに敗る。士卒、氣沮む。但だ當に自ら謹み守りて以て其の變を觀るべし。豈に輕兵深く入る可けんや。今を以て之を觀るに、但だ敗形を見て未だ勝勢を見ずと。洙歎じて曰く、公、此に于いて諱公に及ばず。韓公嘗て云う、大凡そ兵を用うるは勝敗を度外に置くと。今、公は乃ち區區として過慎す。此れ及ばざる所以なりと。公曰く、大軍一たび動けば萬命懸かる所なり。而るに乃ち度外に置く。仲淹、其の可なるを見ずと。洙の議合わず、遽かに還る。魏公、遂に兵を舉げて界に入る。好水川に次る。元昊、伏を設く。全師陷沒す。大將任福、之に死す。魏公遽かに還る。半途に至りて亡ぶ者の父兄妻子數千人、馬首に號す。皆な故衣・紙錢を持して魂を招きて哭す。聲、天地を震わす。魏公、悲憤に勝えず。泣を掩いて馬を駐め、前む能わざる者數刻。公、聞きて歎じて曰く、是の時に當たり、勝敗を度外に置き難きなりと。
現代語訳
仁宗の時、西の異民族がまさに盛んであった。韓琦が経略招討副使となり、五つの道から兵を進めて平夏を襲おうとした。当時、公は延州を守っていて、固く主張して不可とした。当時、尹洙が経略判官であった。ある日、命を受けて慶州に来て、公に出兵を約束させようとした。公は言った。「我が軍は敗れたばかりだ。兵は気が沮んでいる。ただ自ら慎んで守って、その変化を見るべきだ。どうして軽い兵で深く入れようか。いまの状況を見るに、ただ敗れる形が見えるだけで、まだ勝つ勢いは見えない」。尹洙は嘆じて言った。「公はこの点で韓公に及びません。韓公はかつて言われた、およそ兵を用いるには勝敗を度外に置く、と。いま公は細かく気にしすぎておられる。これが及ばないところです」。公は言った。「大軍がひとたび動けば、万人の命がかかっている。それを度外に置く。私はそれがよいとは思わない」。尹洙は議が合わず、すぐに帰った。韓琦はそこで兵を挙げて境を越えた。好水川に宿営した。趙元昊は伏兵を置いた。全軍が陥落した。大将の任福はそこで死んだ。韓琦は急いで帰った。道の半ばで、死んだ者の父兄や妻子数千人が、馬の前で泣き叫んだ。みな故人の衣と紙銭を持って魂を招いて哭した。声は天地を震わせた。韓琦は悲しみと憤りに堪えられなかった。涙を隠して馬を止め、進めないでいることが数刻に及んだ。公はそれを聞いて嘆じて言った。「あのときにあっては、勝敗を度外に置くことは難しいだろう」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
呂氏春秋・仲秋③是の月や、乃ち宰祝に命じて、犠牲を巡行せしむ。全具を視、芻豢を案じ、肥瘠を瞻、物色を察し、必ず比類して、大小を量り、長短を視、皆度に中らしむ。五つの者備に當りて、上帝其れ享く。天子乃ち儺して、佐疾を禦ぎ、以て秋氣を通ず。犬を以て麻を嘗め、先づ寢廟を祭る。
-
論語・為政篇子張禄を干(もと)むを学ぶ。子曰く、多く聞いて疑わしきを闕(か)き、其の余を慎言すれば、則ち尤(とがめ)寡なし。多く見て殆(あやう)きを闕き、其の余を慎行すれば、則ち悔寡なし。言に尤寡なく、行に悔寡なければ、禄は其の中に在り。
-
論語・述而篇子の慎む所は、斉・戦・疾なり。
-
孔子家語・郊問公曰わく:「其れ郊と言うは、何ぞや。」孔子曰わく:「丘を南に兆すは、陽位に就く所以なり。郊に於てす、故に之を郊と謂う。」曰わく:「其の牲器は何如。」孔子曰わく:「上帝の牛は角璽栗にして、必ず滌に在ること三月。后稷の牛は唯だ具うるのみ、天神と人鬼とに事うるを別つ所以なり。牲は骍を用う、赤を尚べばなり。犢を用うるは、誠を貴べばなり。地を掃いて祭るは其の質なり。器は陶匏を用う、天地の性に象る以てなり。萬物之に稱う可き者無し、故に其の自然の體に因るなり。」
-
呂氏春秋・季夏③是の月や、四監大夫をして百縣の秩芻を合わせ、以て犧牲を養わしむ。民をして咸其の力を出ださせること無からしめ、以て皇天上帝・名山大川・四方の神に供し、以て宗廟社稷の靈を祀り、民の為に福を祈る。
-
老子・第15章古の善く士たる者は、微妙玄通、深くして識るべからず。夫れ唯だ識るべからず、故に強いて之が容を為す。豫として冬に川を渉るが若く、猶として四隣を畏るるが若く、儼としてそれ客の若く、渙として氷の将に釈けんとするが若く、敦としてそれ樸の若く、曠としてそれ谷の若く、混としてそれ濁れるが若し。孰か能く濁りて以て之を静かにして徐ろに清まさん。孰か能く安んじて以て久しく之を動かして徐ろに生ぜん。此の道を保つ者は盈つるを欲せず。夫れ唯だ盈たず、故に能く蔽れて新たに成る。