宋名臣言行録 / 後集巻九・蘇軾
頴有宿賊尹遇等數人羣黨驚刼殺變主及捕盗吏兵者非一朝廷以名捕不獲被殺者噤不敢言
新字:頴有宿賊尹遇等数人羣党驚刼殺変主及捕盗吏兵者非一朝廷以名捕不獲被殺者噤不敢言
書き下し
頴に宿賊尹遇等數人有り。羣黨驚刼して變主及び捕盗の吏兵を殺す者一に非ず。朝廷名を以て捕うるも獲ず。殺さるる者噤して敢えて言わず。
現代語訳
潁州には尹遇ら数人の古参の賊がいた。その一味は襲って驚かせ、被害を訴えた家の主や、盗賊を捕らえる役人・兵を殺した者が一人や二人ではなかった。朝廷は名指しで捕らえようとしたが、捕らえられなかった。害を受けた者は口をつぐんで、あえて何も言わなかった。
解説
捕まらない賊が、なぜ捕まらないかを書いた三十八字です。**襲って驚かせ、被害を訴えた家の主や、盗賊を捕らえる役人・兵を殺した。**訴えた者と、捕らえに来た者を狙っている。すると次からは、誰も訴えなくなります。**害を受けた者は口をつぐんで、あえて何も言わなかった。**名指しで捕らえよという命令は出ているのに、動きません。訴えが上がらないので、事件そのものが存在しないことになる。
この章句が説くこと
頴に宿賊尹遇等数人有り羣党驚刼して変主及び捕盗の吏兵を殺す者一に非ず朝廷名を以て捕うるも獲ず殺さるる者噤して敢えて言わず盗賊報復
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