宋名臣言行録 / 後集巻十四・陳無巳
然先王之制士不傳贄為臣則不見於王公夫相見所以成禮而其弊必至於自鬻故先王謹其始而為之防而為士者世守焉師道於公前有貴賤之嫌後無平生之舊公雖可見禮可去乎且公之見招葢以能守區區之禮也若昧冐法義聞命走門則失其所以見招公又何取焉
新字:然先王之制士不伝贄為臣則不見於王公夫相見所以成礼而其弊必至於自鬻故先王謹其始而為之防而為士者世守焉師道於公前有貴賤之嫌後無平生之旧公雖可見礼可去乎且公之見招葢以能守区区之礼也若昧冐法義聞命走門則失其所以見招公又何取焉
書き下し
然れども先王の制、士は贄を傳えて臣と爲らざれば、則ち王公に見えず。夫れ相い見ゆるは禮を成す所以なるも、而も其の弊は必ず自ら鬻ぐに至る。故に先王其の始めを謹しみて之が防を爲す。而して士爲る者世ミ焉を守る。師道の公に於けるは、前には貴賤の嫌有り、後には平生の舊無し。公見る可しと雖も、禮去る可けんや。且つ公の招かるるは、蓋し能く區區の禮を守るを以てなり。若し法義を昧冒し、命を聞きて門に走らば、則ち其の招かるる所以を失わん。公又た何をか取らんや。
現代語訳
しかし先王の定めでは、士人は贄を献じて臣とならなければ、王公に会うことはありません。そもそも会うということは礼を成すためのものですが、その弊害は必ず自分を売り込むところに行き着きます。だから先王はその始めを慎んで、これに防ぎを設けられました。そして士たる者は代々これを守ってきたのです。私と章公との間柄は、前には貴賤の隔たりという遠慮があり、後には日ごろの旧交というものがありません。章公にお会いすること自体はできるとしても、礼のほうを取り去ってよいものでしょうか。そのうえ章公が私をお招きになるのは、おそらく私がささやかな礼を守っているからでしょう。もし法と義を踏みにじり、お召しを聞いて門へ走ったならば、招かれた理由のほうを失うことになります。章公は、いったい何をお取りになるのでしょうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『五常訓』巻之四・礼本立てば末は是より出づる理なり。末のみ修りて、本なきは、誠なくして、礼の道たたず。喪の礼は、ことさら真実ならでは行はれざるものなれば、既に礼の本を説きて、又其内より、喪の礼の本をかかげ出して説き給ふ。
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『五常訓』巻之四・礼一朱子曰、礼は即理の節文なり。いふ意は、万の行、道理にかなひて、過不及なく、程よきを云ふ。飲食の一事をいはば、うゑかわく時に飲み食ふは理なり。されども、飲み食ふべき理なりとて、みだりに多く飲み食へば、放逸にして、みだりがはしく、又必病を生ず。飲み食ふべき理にあたりて、過不及なく、よき程なるが、理の節文なり。万の事、是を以て知るべし。
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『五常訓』巻之四・礼一礼記に、子曰、敬ひて礼にあたらざる、これを野と云ふ。敬ふは誠によけれど、礼にかなはざれば、これ野きなり。敬によき程の法あり。過不及ありて、其法にかなはざるは、是礼にあたらざるなり。況やおごりて理にかなはざるは、ことに礼にそむけり。野きより、其害甚し。
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『弁名』禮礼は道の名なり。先王の制作する所の四教・六芸、是れ其の一に居る。所謂経礼三百、威儀三千、是れ其の物なり。六芸は、書・数は庶人の官に在る者、府・史・胥・徒の専ら務むる所と為す。御も亦た士の職とする所なり。射は諸侯に通ずと雖も、其の所謂射は、礼楽を以て之を行ふ、民の射の皮を主とする者の比に非ず。唯だ礼楽のみ乃ち芸の大なる者にして、君子の務むる所なり。而して楽は伶官に掌られ、君子以て徳を養ふのみ。礼に至りては則ち君子此を以て顕業と為す。是を以て孔子少くして礼を知るを以て称せられ、周に之きて礼を老聃に問ひ、杞に之き宋に之き、唯だ礼を之れ求む。子夏の記す所、曾子の問ふ所、七十子皆礼に断断たり。檀弓の諸篇に見ゆ。三代の君子の礼を務むる、以て見るべきのみ。
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『五常訓』巻之四・礼一威儀をつつしみ、衣冠を正しくし、視ること、聴くこと、言ふこと、動くことの四事につきて、各過不及なく、よき程の法あり。又親につかへ、君につかふるに、各さだまれる法あり。兄弟、夫婦に対し、賓客にまじはり、臣下に対し、民をつかひ、先祖鬼神をまつるも法あり。是礼は、皆天理のよき程なる節文にして、人事の定まれる作法なり。仁義皆理なりといへども、とりわき礼を理といへるに子細あり。理とは行ふべきすぢめなり。万事を行ふに、皆定まりたる作法あり。是人の行ふべきすぢめなり。是即礼なり。ここを以て聖人の説き給へる礼の字は、理の字にあたれり。然れども理といはずして礼といへるに、子細あり。理といへば形と事にあらはれたる迹なくして、虚なり。
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『弁名』禮是の礼楽の教は、黙して之を識るに在りと雖も、然れども人の知、至る有り、至らざる有り。故に孔子時有りてか、一隅を挙げて以て其の義を語る。義とは先王の礼を制する所以の義、戴記に載する所皆是れのみ。祇だ人の知、至る有り、至らざる有り。故に七十子の先王を信ずる、孔子の先王を信ずるに及ばず。其の人の七十子を信ずるも、亦た七十子の孔子を信ずるに及ばず。故に其の人に喩さんと欲するの急なる、其の義を論説して已まず。日に以て蔓衍し、以て戦国の時に至りて、義遂に礼を離れて孤行し、復た礼に就きて其の義を言はず。孟子の書を観て見るべきのみ。此れより其の後、古を去ること益〻遠く、義理の説益〻盛んに、囂然として以て天下を乱し、先王・孔子の教、蕩乎として尽く。悲しいかな。

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