宋名臣言行録 / 後集巻八・吕公著
諜告夏幽其主秉常上對二府議大舉兵伐之公曰如諜者所告則夏人誠有罪然陛下未審以何人為元帥未得其人則不如不舉五年四月公以西師無功奏曰外議皆謂王中正宜正典刑翌日公上奏乞解樞務章繼上面請尤切乃除資政殿學士定州路安撫使及永樂城䧟奏至上開天章閣對輔臣曰邉民疲弊若此獨吕公著為朕言之他人未嘗及也
新字:諜告夏幽其主秉常上対二府議大舉兵伐之公曰如諜者所告則夏人誠有罪然陛下未審以何人為元帥未得其人則不如不舉五年四月公以西師無功奏曰外議皆謂王中正宜正典刑翌日公上奏乞解枢務章継上面請尤切乃除資政殿学士定州路安撫使及永楽城陥奏至上開天章閣対輔臣曰邉民疲弊若此独呂公著為朕言之他人未嘗及也
書き下し
諜、夏の其の主秉常を幽すと告ぐ。上二府に對して大いに兵を舉げて之を伐たんことを議す。公曰く、諜者の告ぐる所の如くんば則ち夏人は誠に罪有り。然れども陛下は未だ何人を以て元帥と爲すかを審らかにせず。其の人を得ざれば則ち舉げざるに如かずと。五年四月、公西師の功無きを以て奏して曰く、外議は皆王中正は宜しく典刑を正すべしと謂うと。翌日、公上奏して樞務を解かんことを乞う。章繼いで上り、面請尤も切なり。乃ち資政殿學士・定州路安撫使を除せらる。永樂城陷るに及び奏至る。上天章閣を開きて輔臣に對して曰く、邊民の疲弊すること此くの若し。獨り呂公著のみ朕の爲に之を言えり。他人は未だ嘗て及ばざるなりと。
現代語訳
間諜が、夏がその主の秉常を幽閉したと告げた。天子は中書・枢密に向かって、大いに兵を挙げてこれを討つことを議した。公は言った。「間諜が告げるとおりなら、夏の者にはまことに罪があります。しかし陛下は、誰を元帥とするかをまだ明らかにしておられません。その人を得ないのなら、起こさないほうがましです」。五年四月、公は西の軍に功がないことをもって奏上して言った。「外の議論はみな、王中正こそ処刑にあてるべきだと申しております」。翌日、公は上奏して枢密の職を解かれることを願った。上奏は続けて上げられ、直接の願いはとりわけ切実であった。そこで資政殿学士・定州路安撫使に任じられた。永楽城が陥ちて、その報告が届いた。天子は天章閣を開いて輔臣たちに向かって言った。「国境の民の疲弊はこれほどである。ただ呂公著だけが朕のためにそれを言った。他の者は一度も及ばなかった」。
解説
この章句が説くこと
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『呻吟語』内篇・應務・時に達し勢を審らかにす與に事を共にす可きの人を擇ばずんば、則ち厥の心を既さず、其の任に堪へず。或いは虛文を以て相欺き、或いは意見を以て相傾く。譬へば玉杯を小兒に付して、崎嶇の峰に奔走するがごとし。是の故に時に達するを貴ぶ。時なる者は、事を成すの期なり。機に乘ず可き有り、會に際す可き有り。先んぜず後れざれば、則ち其の道行はれ易し。時に達せざるは、譬へば種を堅凍の候に投ずるがごとし。是の故に勢を審らかにするを貴ぶ。
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尚書・冏命慎みて乃の僚を簡べ、巧言令色、便辟側媚を以てすること無かれ、其れ惟れ吉士なるべし。
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『甲陽軍鑑』品第四十三右三対六人の人陣の時大に嫌ふ人也△陣の時大将崇敬なさるゝ人一対づゝ五対合十人一才覚有りて勘定たけく、能き智恵深く、能く損徳の考して理非の二ツには理の方へ近く分別して、蔵よく賂ふ人の事、是一対二人也一心すくやかにて、まなこきゝて分別·才覚有て武道にさかしく、よく物いふ人の事一縦ひ無才覚なり共、分別なく共、物いふ事速かになく共、口わろく共、無能なり共、ねてもさめても武道心がくる人ありて左様のものを大将のみしり給ひ、念比なさるればことくく諸傍輩武篇を心がくる也、
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史記 高祖本紀沛公をして西のかた地を略して関に入らしむ。諸将と約す、先づ入りて関中を定むる者は之を王とせんと。是の時に当たりて、秦の兵彊く、常に勝ちに乗じて北ぐるを逐ふ、諸将先づ関に入るを利とする莫し。独り項羽秦の項梁の軍を破りしを怨み、奮ひて、沛公と西のかた関に入らんことを願ふ。懐王の諸老将皆曰く、「項羽の人と為り彊悍猾賊なり。項羽嘗て襄城を攻め、襄城に遺類無く、皆之を阬にす、諸々の過ぐる所残滅せざる無し。且つ楚数(しばしば)進み取らんとし、前の陳王・項梁皆敗る。更に長者を遣はして義に扶りて西し、秦の父兄に告諭するに如かず。秦の父兄其の主に苦しむこと久し、今誠に長者を得て往き、侵暴する毋くんば、宜しく下すべし。今項羽は彊悍なり、今遣はすべからず。独り沛公素より寛大の長者なり、遣はすべし。」と。卒に項羽を許さずして、沛公を遣はして西のかた地を略し、陳王・項梁の散卒を収めしむ。乃ち碭に道して成陽に至り、杠里の秦の軍と壁を夾み、(魏)[秦]の二軍を破る。楚の軍兵を出して王離を撃ち、大いに之を破る。沛公兵を引きて西し、彭越に昌邑に遇ひ、因りて与に倶に秦の軍を攻む、戦ひて利あらず。還りて栗に至り、剛武侯に遇ひ、其の軍を奪ふ、四千余人可り、之を并す。魏の将皇欣・魏の申徒武蒲の軍と并せて昌邑を攻む、昌邑未だ抜けず。西のかた高陽を過ぐ。酈食其監門為り、曰く、「諸将の此を過ぐる者多し、吾沛公を視るに大人長者なり。」と。乃ち見えんことを求めて沛公に説く。沛公方に牀に踞し、両女子をして足を洗はしむ。酈生拝せず、長揖して、曰く、「足下必ず無道の秦を誅せんと欲せば、宜しく踞して長者に見ゆべからず。」と。是に於て沛公起ち、衣を摂めて之に謝し、延きて上坐せしむ。食其沛公に説きて陳留を襲はしめ、秦の積粟を得たり。乃ち酈食其を以て広野君と為し、酈商を将と為し、陳留の兵に将たらしめ、与に偕に開封を攻む、開封未だ抜けず。西のかた秦の将楊熊と白馬に戦ひ、又曲遇の東に戦ひ、大いに之を破る。
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