宋名臣言行録 / 前集巻八・龎籍
文公為相公為樞宻使以近世養兵之弊在於多而不精故國用竭因大加簡閱揀放為民者六萬餘人减其衣糧之半者二萬餘人衆議紛然以為不可施昌言李昭亮尤甚皆言衣食於官久不願歸農又習弓弩散之必為盗賊上亦疑之二公曰今公私困竭上下皇皇正由養冗兵太多故也今不省去無由蘇息萬一果有聚為盗者二臣請以死當之上意乃决邉儲由是稍蘇
新字:文公為相公為枢密使以近世養兵之弊在於多而不精故国用竭因大加簡閲揀放為民者六万余人减其衣糧之半者二万余人衆議紛然以為不可施昌言李昭亮尤甚皆言衣食於官久不願帰農又習弓弩散之必為盗賊上亦疑之二公曰今公私困竭上下皇皇正由養冗兵太多故也今不省去無由蘇息万一果有聚為盗者二臣請以死当之上意乃決邉儲由是稍蘇
書き下し
文公、相と為る。公、樞宻使と為る。近世の兵を養うの弊、多くして精ならざるに在り、故に國用竭くるを以て、因りて大いに簡閲を加う。揀び放ちて民と為す者六萬餘人。其の衣糧の半を减ずる者二萬餘人。衆議紛然として、以て不可と為す。施昌言・李昭亮、尤も甚だし。皆な言う、官に衣食すること久し。農に歸るを願わず。又た弓弩を習う。之を散ずれば必ず盗賊と為らんと。上も亦た之を疑う。二公曰く、今、公私困竭し、上下皇皇たるは、正に冗兵を養うこと太だ多きに由るが故なり。今、省き去らずんば、蘇息するに由無し。萬一、果たして聚まりて盗と為る者有らば、二臣、請う、死を以て之に當たらんと。上意乃ち決す。邉儲、是に由りて稍や蘇る。
現代語訳
文彦博が宰相であった。公は枢密使であった。近世の兵を養う弊害は、数が多くて精鋭でないことにあり、それで国の費えが尽きているとして、そこで大がかりな選別を行った。選んで放って民に戻した者が六万余人。その衣と糧を半分に減らした者が二万余人。多くの議論が紛糾して、不可とした。施昌言と李昭亮がとりわけ激しかった。みな言った。「官から衣食を受けて長い。農に戻ることを願わない。そのうえ弓と弩を習っている。散らせば必ず盗賊になる」。帝もそれを疑った。二人は言った。「いま公も私も窮乏し、上も下も落ち着かないのは、まさに無駄な兵を養いすぎているからです。いま省かなければ、立ち直る道がありません。万一、はたして集まって盗賊になる者があれば、臣ら二人が死をもって当たります」。帝の意はそこで決まった。辺境の蓄えは、これによってようやく持ち直した。
解説
この章句が説くこと
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