宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦
公一日挾孔光傳進對曰漢成帝立二十五年無繼嗣已議立帝弟之子定陶王為太子成帝中材常主猶能之以陛下之明何難於此哉太祖為天下長慮澤流至今惟陛下以太祖心為心則無不可矣仁宗感悟始以英宗判宗正寺
新字:公一日挟孔光伝進対曰漢成帝立二十五年無継嗣已議立帝弟之子定陶王為太子成帝中材常主猶能之以陛下之明何難於此哉太祖為天下長慮沢流至今惟陛下以太祖心為心則無不可矣仁宗感悟始以英宗判宗正寺
書き下し
公一日、孔光傳を挾みて進對して曰く、漢の成帝立つこと二十五年、繼嗣無し。已に帝の弟の子定陶王を立てて太子と爲さんことを議す。成帝は中材の常主なるに、猶お能く之をなせり。陛下の明を以て、何ぞ此に難からんや。太祖、天下の爲に長慮し、澤は流れて今に至る。惟だ陛下、太祖の心を以て心と爲さば、則ち可ならざる無しと。仁宗感悟し、始めて英宗を以て宗正寺を判せしむ。
現代語訳
韓琦はある日、『漢書』孔光伝を脇に抱えて御前に進み、答えて言った。「漢の成帝は位に就いて二十五年、跡継ぎがありませんでした。そこで帝の弟の子である定陶王を立てて太子とすることを議しました。成帝は並みの才の、ふつうの君主でしたが、それでもこれができたのです。陛下の聡明さをもってすれば、これのどこが難しいでしょうか。太祖は天下のために遠く先を慮り、その恵みは流れて今に至っています。ただ陛下が太祖の心をご自分の心とされるなら、できないことはありません」。仁宗は心を動かされ、はじめて英宗に宗正寺の職を執らせた。
解説
説き方が巧い条です。持ち出したのは立派な先例ではありません。**成帝は並みの才の、ふつうの君主でしたが、それでもこれができた。**下に置いた例を引くことで、断れば並み以下になる、という形を作っています。しかも本を脇に抱えて行きました。口だけの議論ではなく、原文を見せている。締めは血筋の話に戻します。**太祖は天下のために遠く先を慮った。陛下が太祖の心を心とされるなら、できないことはありません。**動いたのはここでした。
この章句が説くこと
成帝は中材の常主なるに猶お能く之をなせり陛下の明を以て何ぞ此に難からんや太祖の心を以て心と為さば則ち可ならざる無し説得先例後継
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