宋名臣言行録 / 前集巻一・曹彬
彬前後征討凡降四國主江南西川廣南湖南也未嘗殺一無辜諸子皆賢今瑋琮璨繼領旄鉞陶弼觀王畫像有詩曰蒐兵四解降王□教子三登上將壇其後少子玘追封王爵實生慈聖光獻太后輔佐仁宗母儀累朝非元功隂徳享報深厚何以至此雖漢馬唐郭無以過此
新字:彬前後征討凡降四国主江南西川広南湖南也未嘗殺一無辜諸子皆賢今瑋琮璨継領旄鉞陶弼観王画像有詩曰蒐兵四解降王□教子三登上将壇其後少子玘追封王爵実生慈聖光献太后輔佐仁宗母儀累朝非元功陰徳享報深厚何以至此雖漢馬唐郭無以過此
書き下し
彬前後の征討、凡そ四國の主を降す。江南・西川・廣南・湖南なり。未だ嘗て一無辜をも殺さず。諸子皆な賢なり。今、瑋・琮・璨、繼いで旄鉞を領す。陶弼、王の畫像を觀て詩有り。曰く、兵を蒐めて四たび降王を□し、子を教えて三たび上將の壇に登ると。其の後、少子の玘、王爵を追封せらる。實に慈聖光獻太后を生み、仁宗を輔佐して累朝に母儀たり。元功隂徳、享報の深厚なるに非ずんば、何を以て此に至らん。漢の馬・唐の郭と雖も、以て此に過ぐる無し。
現代語訳
曹彬が前後にわたって征討し、あわせて四つの国の君主を降した。江南・西川・広南・湖南である。ただの一人も罪の無い者を殺さなかった。子はみな賢かった。いま曹瑋・曹琮・曹璨が続けて軍の指揮を執っている。陶弼が王の肖像を見て詩を作った。「兵を集めて四たび降る王を□し、子を教えて三たび上将の壇に登る」。その後、末子の曹玘が王の爵を追贈された。じつは慈聖光献太后を生み、その太后は仁宗を輔けて幾代にもわたる母の手本となった。大きな功と人知れぬ徳、その報いの深く厚いことがなければ、どうしてここまで至れよう。漢の馬援や唐の郭子儀であっても、これに勝ることはない。
解説
曹彬の条を締めくくる評です。四つの国の君主を降しながら**ただの一人も罪の無い者を殺さなかった**、という一行に功績をまとめ、そこから子孫の話へ移ります。三人の子が続けて軍を率い、末子の家からは仁宗を輔けた太后が出た。前の条で曹翰の子孫が三十年で物乞いになったのと、対に置かれています。詩中の□は四庫全書本の欠字で、証人の宋刊本にもこの一条が無いため埋められませんでした。
この章句が説くこと
凡そ四国の主を降し未だ嘗て一無辜をも殺さず元功陰徳享報の深厚なるに非ずんば何を以て此に至らん諸子皆な賢なり継いで旄鉞を領す報い子孫功徳
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