宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦
治平三年上疾革二府問疾罷公奏曰陛下久不視朝中外憂懼宜蚤建太子以安衆心上頷之公請上親筆指揮上乃批曰立太王為皇太子公曰太王乃頴王也煩聖躬更親書之上又批於後云太王頴王某公曰欲乞只今晚宣麻上頷之時神宗在側聞是命辭於榻前者久之制下又設置東宫官屬由是國本定矣
新字:治平三年上疾革二府問疾罷公奏曰陛下久不視朝中外憂懼宜蚤建太子以安衆心上頷之公請上親筆指揮上乃批曰立太王為皇太子公曰太王乃頴王也煩聖躬更親書之上又批於後云太王頴王某公曰欲乞只今晩宣麻上頷之時神宗在側聞是命辞於榻前者久之制下又設置東宫官属由是国本定矣
書き下し
治平三年、上の疾革まる。二府疾を問いて罷む。公奏して曰く、陛下久しく朝を視ず、中外憂懼す。宜しく蚤く太子を建てて以て衆心を安んずべしと。上之に頷く。公、上の親筆の指揮を請う。上乃ち批して曰く、太王を立てて皇太子と爲すと。公曰く、太王は乃ち頴王なり。聖躬を煩わし、更に親しく之を書せよと。上又た後に批して云う、太王頴王某と。公曰く、只だ今晚に麻を宣せんことを乞い欲すと。上之に頷く。時に神宗側に在り。是の命を聞き、榻前に辭する者之を久しくす。制下り、又た東宮の官屬を設置す。是に由りて國本定まれり。
現代語訳
治平三年(一〇六六)、天子の病が篤くなった。中書と枢密の二府が見舞いを終えて退がった。韓琦は奏上して言った。「陛下は久しく朝政をご覧になれず、内外が憂え懼れております。早く太子をお立てになって、衆人の心を安んじるべきです」。天子はうなずいた。韓琦は天子の直筆の指示を願った。天子はそこで「太王を立てて皇太子とする」と書き付けた。韓琦は言った。「太王とは頴王のことでございます。恐れ入りますが、改めてご自身でお書きください」。天子はまたその後ろに「太王すなわち頴王某」と書き付けた。韓琦は言った。「今晩のうちに詔書を宣したく存じます」。天子はうなずいた。そのとき神宗が側におり、この命を聞いて、御床の前で長いあいだ辞退した。制が下り、さらに東宮の官属を設置した。これによって国の根本が定まった。
解説
この章句が説くこと
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『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦仁宗欣びて納れて曰く、此くの如くんば則ち宜しく明堂の大禮の前に乘じて亟かに立てて太子と爲すべしと。乃ち樞密の大臣を召して其の事を諭す。或るひと愕きて曰く、此れ大事なり、遽かにする毋かれと。上顧みて曰く、朕が意決せりと。曰く、誠に此くの如くんば、敢えて天下の爲に賀せんと。又た學士を召して詔書を爲らしむ。學士も亦た對を請い、然る後に藁を進む。英宗既に太子と爲るも、尚お堅く卧す。公又た奏して曰く、今既に陛下の子爲り、何の間つる所あらんやと。願わくは宮人をして就きて旨を諭さしめ、及び本宮の族屬に敦く勸めしめんことを。上其の請の如くす。始めて興寧宮に就く。
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『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦仁宗嗣未だ立たず。公、内學を置きて宗子を教うるを請う。儲を建つるの意、默して其の中に存す。事未だ行うに及ばず。仁宗勤に倦み、勢い漸く廹り、更に内學を置くに暇あらず。進對罷む毎に、即ち太子は天下の本、豫め立てて以て天下の心を係けざる可からずと論ず。語日に益ミ切なり。時に二宗子の宮中に育つ有り。公二宗子を謂いて、陛下も亦た必ず自ら其の孰れか聰明なるかを見ること能わんや否やと。上、英宗を以て言と爲す。公即ち將順して聖旨劄子を降し、權に宗正司を判せしめんことを乞う。後、兩府御劄を通簽す。張昇太尉之を見て懼れ、深く公を罪す、何ぞ之と素より議せざると。次日に及び殿上に大言す、此の事社稷に係る、陛下錯る可からずと。上曰く、此の事、相公と商量し來たれりと。昇殿を下りて中書に至り、又た公を詰る。公曰く、此れ甚だ思慮に入り來たる、錯らずと。昇退く。公笑いて曰く、若し素より議せば、豈に事を壞さざらんやと。
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『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦帝の疾甚だしき時、不遜の語有り。后樂しまず。大臣に太子を立つるに預らざる者有り、陰かに廢立の說を進む。惟だ宰相韓琦のみ確然として變ぜず。參政歐陽脩深く其の議を助く。嘗て簾前に奏事するに、慈聖嗚咽流涕して具さに不遜の狀を道う。琦曰く、此れ病なるが故のみ。病已えなば必ず爾らじ。子病むに母之を容れざらんやと。慈聖懌ばずして曰く、皇親輩皆笑う、太后舊窩の中に於いて兎兒を尋ねんと欲すと。聞く者驚懼して皆數歩退く。獨り琦のみ動かずして曰く、太后、胡思亂量するを要せずと。
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『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦仁宗春秋髙く、繼嗣未だ立たず。天下以て憂と爲す。或いは言う者有りと雖も、大臣敢えて議の首と爲る莫し。公數ミ間に乘じて伏奏し、太子を選び立てんことを乞う。上顧みて曰く、後宮の一二、館に就かんと欲す。卿亟にする毋かれと。後に誕育するは皆皇女なり。
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『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦會ミ仁宗天下を棄つ。平旦に入りて大議に預る。英宗帝位に即く。宮門徐ろに開き、百官を追いて班し、遺制を宣す。衛士甲に坐し、諸司幕廡の下にて喪を治む。人情肅然たり。日午に至るまで、市肆猶お未だ知らざる者有り。公性厚重にして、未だ嘗て其の功を名とせず。其の門人親客、或いは燕坐從容として語太子定策の事に及べば、必ず色を正して曰く、此れ仁宗の聖德神斷、天下の爲に計るなり。太后母道、内助の力なり。朝廷の定議久し。臣子果たして何ぞ預らんやと。
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『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦英宗即位して已に數月、初め服を柩前に掛け、哀未だ發せざるに疾暴かに作り、大呼して語言すること人の聞く可からざる所なり。左右皆反り走り、大臣輩駭愕して癡立し、措く所を知る莫し。公亟かに杖を地に投じ、直ちに趨りて前に至り、抱きて簾に入れて曰く、誰か官家を激惱せしむるや。且く當に藥を服すべしと。内人驚き散ず。公之を呼ぶに、徐徐として方に來たる。遂に上を擁して以て之に授けて曰く、皆須らく心を用いて官家を照管すべしと。再三慰安して以て出づ。仍りて當時の見し者を戒めて曰く、今日の事は惟だ某人見、某人見るのみ。外人未だ知る者有らずと。復た位に就きて哭し、之に處すること事無きが若く然り。歐公歸りて親しむ所に語りて曰く、韓公事に遇うこと真に及ぶ可からずと。