宋名臣言行録 / 前集巻九・田錫
太宗嘗與侍臣論皇王之道錫奏曰皇王之道㣲妙曠闊今師平太原逮兹二載未賞軍功願因郊籍議功酬之乞罷交州戍兵免驅生民爲瘴嶺之鬼上嘉納焉趙普當國錫謁之曰公以元勲當國宜事損檢今羣臣書奏先經中書既非尊王之體諫官章疏令閤門填狀尤弱臺憲之風皆不便普引咎正容厚謝皆罷之
新字:太宗嘗与侍臣論皇王之道錫奏曰皇王之道微妙曠闊今師平太原逮茲二載未賞軍功願因郊籍議功酬之乞罷交州戍兵免駆生民為瘴嶺之鬼上嘉納焉趙普当国錫謁之曰公以元勲当国宜事損検今羣臣書奏先経中書既非尊王之体諫官章疏令閤門填状尤弱台憲之風皆不便普引咎正容厚謝皆罷之
書き下し
太宗、嘗て侍臣と皇王の道を論ず。錫、奏して曰く、皇王の道は㣲妙にして曠闊なり。今、太原を師平してより茲に二載、未だ軍功を賞せず。願わくは郊籍に因りて功を議して之に酬いよ。乞う、交州の戍兵を罷めて、生民を驅りて瘴嶺の鬼と爲すを免れよと。上、嘉納す。趙普、國に當たる。錫、之に謁して曰く、公、元勲を以て國に當たる。宜しく損檢を事とすべし。今、羣臣の書奏、先ず中書を經るは、既に尊王の體に非ず。諫官の章疏、閤門をして狀を填めしむるは、尤も臺憲の風を弱くす。皆な便ならずと。普、咎を引きて容を正し、厚く謝して皆な之を罷む。
現代語訳
太宗がかつて側近の臣と皇と王の道を論じた。田錫は奏上して言った。「皇と王の道は微妙で広大です。いま太原を平定してから二年になりますが、まだ軍功を賞しておりません。どうか郊外の祭にことよせて功を議して報いてください。また交州の守備兵を引き揚げ、民を駆り立てて瘴気の峰の亡霊にすることをおやめください」。帝は喜んで受け入れた。趙普が国政に当たっていた。田錫は会いに行って言った。「公は元勲として国政に当たっておられる。控えめにすることを心がけるべきです。いま群臣の上奏が先に中書省を経るのは、そもそも王を尊ぶ体ではありません。諫官の上疏を、閤門に書式を埋めさせるのは、とりわけ監察の気風を弱めます。どちらもよくありません」。趙普は自分の咎として顔つきを正し、手厚く礼を述べて、どちらもやめさせた。
解説
この章句が説くこと
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『宋名臣言行録』前集巻五・薛奎明肅太后、衮冕を以て太廟に謁せんと欲す。諌疏交々上る。宰臣、議を執る。俱に之を聴かず。公は關右の人なり。語氣明直にして文らず。其の談、獨り簾外に於て口ずから奏して曰く、陛下、大謁の日、還た漢兒の拜を作すか、女兒の拜を作すかと。明肅答うる無し。是の夕、報じて罷む。
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史記 張丞相列伝張丞相蒼(ちやうじやうしやうさう)は、陽武の人なり。書・律歴を好む。秦の時に御史と為り、柱下の方書を主る。罪有りて、亡げ帰る。沛公の地を略して陽武を過ぐるに及び、蒼は客を以て従ひて南陽を攻む。蒼は法に坐して斬に当たり、衣を解きて質に伏す。身長大にして、肥白なること瓠(ひさご)の如し。時に王陵見て其の美士なるを怪しみ、乃ち沛公に言ひて、赦して斬らざらしむ。遂に従ひて西のかた武関に入り、咸陽に至る。沛公立ちて漢王と為り、漢中に入り、還りて三秦を定む。陳餘、常山王張耳を撃ちて走らす。耳、漢に帰す。漢乃ち張蒼を以て常山の守と為す。淮陰侯に従ひて趙を撃ち、蒼、陳餘を得たり。趙の地已に平らぎ、漢王、蒼を以て代の相と為し、辺寇に備へしむ。已にして徙りて趙の相と為り、趙王耳に相たり。耳卒し、趙王敖に相たり。復た徙りて代王に相たり。燕王臧荼反し、高祖往きて之を撃つ。蒼は代の相を以て従ひて臧荼を攻めて功有り、六年中を以て封ぜられて北平侯と為り、食邑千二百戸。遷りて計相と為り、一月にして、更に列侯を以て主計と為ること四歳。是の時蕭何相国為り。而して張蒼は乃ち秦の時より柱下の史と為り、天下の図書・計籍に明習す。蒼又善く算・律歴を用ふ。故に蒼をして列侯を以て相府に居り、郡国の上計する者を領主せしむ。黥布反して亡び、漢、皇子長を立てて淮南王と為し、而して張蒼之に相たり。十四年、遷りて御史大夫と為る。
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言志四録・言志録 第七十条 諫めは誠意に在り凡そ人を諫めんと欲するには、唯だ一団の誠意の言に溢るる有るのみ。苟くも一忿疾の心を挟まば、諫め決して入らず。
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史記 季布欒布列伝中郎将と為る。単于嘗て書を為りて呂后を嫚り、不遜なり、呂后大いに怒り、諸将を召して之を議す。上将軍樊噲曰く「臣願はくは十万の衆を得て、匈奴の中に横行せん」と。諸将皆呂后の意に阿り、「然り」と曰ふ。季布曰く「樊噲斬るべきなり。夫れ高帝兵四十余万の衆を将ゐて、平城に困しむ、今噲柰何ぞ十万の衆を以て匈奴の中に横行せんとするは、面欺なり。且つ秦胡に事とするを以て、陳勝等起こる。今に于て創痍未だ瘳えず、噲又面諛し、天下を揺動せんと欲す」と。是の時殿上皆恐れ、太后朝を罷め、遂に復た匈奴を撃つ事を議せず。
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