宋名臣言行録 / 前集巻三・曹瑋
瑋募弓箭手使馳射校強弱勝者予田二頃再更秋穫課市一馬馬必勝甲然後官籍之則加田五十畆至三百人以上團為一指揮擇要害處為築堡使自塹其地為方田環之立馬社一馬死衆為出錢市馬開邉濠率令深廣丈五尺山險不可塹者因其峭絶治之使足以限虜後皆為法自三都之戰威震四海唃厮囉聞公姓名即以手加顙在天雄契丹使過魏地輒隂勒其從人無得髙語疾驅至多憚公不敢仰視
新字:瑋募弓箭手使馳射校強弱勝者予田二頃再更秋穫課市一馬馬必勝甲然後官籍之則加田五十畆至三百人以上団為一指揮択要害処為築堡使自塹其地為方田環之立馬社一馬死衆為出銭市馬開邉濠率令深広丈五尺山険不可塹者因其峭絶治之使足以限虜後皆為法自三都之戦威震四海唃厮囉聞公姓名即以手加顙在天雄契丹使過魏地輒陰勒其従人無得高語疾駆至多憚公不敢仰視
書き下し
瑋、弓箭手を募る。馳射せしめて強弱を校べ、勝つ者には田二頃を予う。再び秋穫を更め、課して一馬を市わしむ。馬は必ず甲に勝えて然る後に官之を籍す。則ち田五十畆を加う。三百人以上に至れば、團して一指揮と為す。要害の處を擇びて為に堡を築き、自ら其の地を塹して方田と為して之を環らしむ。馬社を立つ。一馬死せば、衆為に錢を出だして馬を市う。邉濠を開くこと、率ね深廣丈五尺ならしむ。山險にして塹る可からざる者は、其の峭絶に因りて之を治め、以て虜を限るに足らしむ。後、皆な法と為る。三都の戰より威、四海を震わす。唃厮囉、公の姓名を聞けば、即ち手を以て顙に加う。天雄に在り、契丹の使い魏の地を過ぐれば、輒ち隂かに其の從人を勒して髙語疾驅するを得る無からしむ。多く公を憚りて敢えて仰ぎ視ず。
現代語訳
曹瑋は弓箭手を募った。馬を走らせて射させ、強弱を比べ、勝った者には田二頃を与えた。二度目の秋の収穫を過ぎると、課して馬を一頭買わせた。馬は必ず甲冑を着けた者を乗せて堪えられることを確かめてから、官が帳簿に載せた。そのうえで田を五十畝加えた。三百人以上になれば、まとめて一つの指揮とした。要害の場所を選んで砦を築き、自分たちでその土地に堀を掘って方田とし、周りを囲ませた。馬の講を立てた。一頭の馬が死ねば、みなで金を出して馬を買った。国境の堀を掘るのは、おおむね深さも幅も一丈五尺とした。山が険しくて掘れないところは、その切り立った地形を利用して整え、敵を阻めるようにした。後にみな法となった。三都の戦い以来、その威は四海を震わせた。唃厮囉は公の姓名を聞くと、すぐ手を額に当てて拝んだ。天雄にいたときは、契丹の使いが魏の地を通ると、そのつどひそかに従者を戒めて、大声を出したり早駆けしたりさせなかった。多くは公を憚って、顔を上げて見ようともしなかった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『政談』國の締り一篇の發端の事総して国の治めと云ふは、譬へば碁盤の目を盛るが如し、目を盛らざる盤にては、何ほどの上手にても碁はうたれぬなり、洪水を静むるには、川筋を付るなり、川筋を付ざれば、禹王再び生れ出たまふとも、水を静むることは叶はざるなり、当時火災の事上の御世話にて塗屋土蔵造に成りたれば、火災自然と少なし、是明かなる証拠なり、其外の御政務には、此訳を申し立る人なきにや、是によりて和漢の古法を考へ愚案の量見を左に記す、
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『政談』右四册大意の事右四册の物語りに瑣細なるまでを記したることは、当時は法の立てやう未熟にて、大なる所に法立たず、末に計り法立ちてある故世界に締り無く、風俗ひたものに移り行き、今は法は法にて有りながら、下は下にて別々になりて、法も詮無きことに成りたることを知らせ奉らんためなり、当時のことなど見及び聞及びたる争などを少々書きたるは、定めて承はり違ひもあるべし、又愚按の違ひもあるべし、政治の道はひきつはなれたることにあらず、世の成行世界の全体を知し召すこと肝要なり、肝心の所は世界旅宿の境界なると、諸事の制度なきと、此二つに帰することなり、是によりて、戸籍を立て万民を住所に有付ると、町人百姓と武家と制度の差別を立ると、大名の家に制度を立ると御買上と云ことの之なきやうにすると、大体是にて世界はすぐなをり豊かに成るへし、
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『政談』諸色直段の事偖又用ゆるもの多き故に高直になる、此用ゆる者多きは制度なきより起れり、元来貴き人は善きものを用ひ、賤きものは悪きものを用ゆるときは、物各々其宜きを得るゆゑ諸色高直にはならぬを、今は賤き者まても善きものを用ゆると云は如何やうの事なれは、御城下に来集る民は素は田舎のものにて、麦粟種等の雑穀を食し、濁酒を飲み、味噌をも食せす、すくも火を焼き、麻木綿を織て着し、席薦の上に寝臥をしたるものか、心儘に御城下に来住する故、米味噌を食し、薪を焼き、炭の火にあたり、衣服も買整へて着し、善酒を飲み、田舎に之なき障子を立て、天井を張り、唐紙を張り、畳を敷き、蚊屋を釣るなとすることは、ぼていふりも皆斯の如し、少しも善き町人は衣服食事家居器物まても金さへあれは大名と同しことにて誰れ制する者なし、是諸物の用ゆる人多き故諸色の高直なること尤なり、
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尉繚子・制談此くの如くんば、戦ひ勝つと雖も国益々弱く、地を得るも国益々貧しきは、国中の制弊るるに由るなり。
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『墨子』尚同中子墨子曰く、方今の時の正長は、則ち本より古者と異なれり。之を譬うるに量るに五刑を以てするが若く然り。昔者、聖王は制して五刑を為り、以て天下を治む。有苗の五刑を制するに逮び至りては、以て天下を亂る。則ち此れ豈に刑の不善ならんや。刑を用うること則ち不善なるなり。是を以て先王の書、呂刑の道いて曰く、「苗民、練を用いず、折くに則ち刑し、唯だ五殺の刑を作り、法と曰う」と。則ち此れ善く刑を用うる者は以て民を治め、善く刑を用いざる者は以て五殺と為すを言う。則ち此れ豈に刑の不善ならんや。刑を用うること則ち不善なり、故に遂に以て五殺と為す。是を以て先王の書、術令の道いて曰く、「惟れ口は好を出だし戎を興す」と。則ち此れ善く口を用うる者は好を出だし、善く口を用いざる者は以て讒賊冦戎と為すを言う。則ち此れ豈に口の不善ならんや。口を用うること則ち不善なり、故に遂に以て䜛賊冦戎と為す。
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『政談』當時制度之なき事兼て制度を立てゝこれを安くするときは人々知る故分に過ぎたる奢りは自からなくて世上に費へなし、制度なければ上より奢りをするなと制し玉ふと云ふとも、是までが分相応にて是より上か奢りなりと云ふ「キツカケ」なけれはすへきやうなし、華美を好むは人情の常なる故制度なき故に世は次第に奢りに成行くなり、衣服の制度ある時は是は大名是は大役高官の人と云ふ事坐敷の上にても自から知るゝ故、人々貴きを敬ひ儀式自から乱れさるに、上一人より下は民までも何れも小袖を着上下を着ること同様にて、其衣服の地は金さへあれは何を着ても誰制する人なし、上下の見分けなき故高官大役の人下のものと別の立てやうなく、唯々いかつかましき体をして是にて高下を別のことに成り、我か身の君子の礼儀を失ふことをは知らず、御役人奉行なとの無礼甚しく、下たるものは礼に過ぎて這ひ屈み、諂ふ風俗甚しきも制度なきか故なり、

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