宋名臣言行録 / 前集巻四・冦凖
公在澶淵每夕與楊億飲博謳歌諧謔喧呼常達旦或就寢則鼾息如雷上使人覘之喜曰得渠如此吾復何憂
新字:公在澶淵毎夕与楊億飲博謳歌諧謔喧呼常達旦或就寝則鼾息如雷上使人覘之喜曰得渠如此吾復何憂
書き下し
公、澶淵に在り。毎夕、楊億と飲博・謳歌・諧謔し、喧呼して常に旦に達す。或いは寢に就けば則ち鼾息雷の如し。上、人をして之を覘わしめ、喜びて曰く、渠を得ること此くの如し。吾れ復た何をか憂えんと。
現代語訳
公は澶淵にいた。毎晩、楊億と酒を飲み博打を打ち、歌い、戯れ、大声を上げて、いつも夜明けまで続いた。あるいは寝てしまえば、いびきが雷のようであった。帝は人をやって様子をうかがわせ、喜んで言った。「こういう者を得ている。私はもう何を憂えることがあろう」。
解説
前線の夜を、そのまま書いた条です。毎晩、酒と博打と歌と戯れで夜明けまで、寝ればいびきが雷のよう。帝はそれをうかがわせて、喜びました。こういう者を得ている、もう何を憂えることがあろう、と。総大将が眠れていない軍は保ちません。落ち着いているという事実は、言葉より寝息のほうが強い証拠になっています。落ち着いているという事実は、寝息のほうが強い証拠になります。
この章句が説くこと
毎夕楊億と飲博謳歌諧謔し喧呼して常に旦に達す或いは寝に就けば則ち鼾息雷の如し渠を得ること此くの如し吾れ復た何をか憂えん平静士気前線
関連する章句
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