宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦
而鄭康成云以其於國服事之稅為息也於國事受園㕓之田而貸萬泉者則期出息五百臣謂周禮園㕓二十而稅一近郊十一逺郊二十而三甸稍縣都皆無過十一唯其漆林之征二十有五鄭康成盖約此法謂從官貸錢若受園㕓之地貸萬錢者出息五百公彦因而解謂近郊十一者萬錢朞出息一千逺郊二十而三者萬錢朞出息一千五百甸稍縣都之民萬錢朞出息二千臣謂如此則須漆林之戸取貸方出息二千五百也然當時未必如此也
新字:而鄭康成云以其於国服事之税為息也於国事受園㕓之田而貸万泉者則期出息五百臣謂周礼園㕓二十而税一近郊十一遠郊二十而三甸稍県都皆無過十一唯其漆林之征二十有五鄭康成盖約此法謂従官貸銭若受園㕓之地貸万銭者出息五百公彦因而解謂近郊十一者万銭朞出息一千遠郊二十而三者万銭朞出息一千五百甸稍県都之民万銭朞出息二千臣謂如此則須漆林之戸取貸方出息二千五百也然当時未必如此也
書き下し
而るに鄭康成云う、其の國に服事するの稅を以て息と爲すなり。國事に於いて園廛の田を受けて萬泉を貸る者は、則ち期に息五百を出すと。臣謂えらく、周禮に園廛は二十にして一を稅し、近郊は十に一、遠郊は二十にして三、甸・稍・縣・都は皆十に一を過ぐる無し。唯だ其の漆林の征のみ二十有五なり。鄭康成蓋し此の法を約して、官より錢を貸り、若し園廛の地を受くる者、萬錢を貸れば息五百を出すと謂う。公彦因りて解して謂う、近郊十に一の者は萬錢期に息一千を出し、遠郊二十にして三の者は萬錢期に息一千五百を出し、甸稍縣都の民は萬錢期に息二千を出すと。臣謂えらく、此くの如くんば則ち須らく漆林の戸の貸を取りて方に息二千五百を出すべきなり。然れども當時未だ必ずしも此くの如くならざるなり。
現代語訳
ところが鄭康成(鄭玄)は言います。「その国に仕えて納める税をもって利息とするのである。国の用として園廛の田を受けている者が万泉を借りるなら、期日に利息五百を出す」。臣が思いますに、周礼では園廛は二十分の一を税とし、近郊は十分の一、遠郊は二十分の三、甸・稍・県・都はみな十分の一を超えません。ただ漆林の徴収だけが二十五分の一であります。鄭康成はおそらくこの法を要約して、官から銭を借りるとき、もし園廛の地を受けている者が万銭を借りれば利息五百を出す、と言ったのです。賈公彦はそれを受けて解して言います。近郊の十分の一の者は万銭で期日に利息千、遠郊の二十分の三の者は万銭で期日に利息千五百、甸・稍・県・都の民は万銭で期日に利息二千を出す、と。臣が思いますに、そうであれば、漆林の家が借りてはじめて利息二千五百を出すことになります。しかし当時は必ずしもそうではなかったでしょう。
解説
この章句が説くこと
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