宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦
公不得已獨上章曰元昊精兵不出四五萬餘皆婦女老弱舉族而行我四路之兵不為少分戍數十城寨彼聚而來故常衆我散故常寡相遇毎不敵是以元昊能數勝今不究此失乃待賊大過以二十萬重兵惴然守界濠不敢與虜角臣實痛之願更命近臣觀賊之隙如不可不擊則願不疑臣言奏雖未下知兵者以公言為然
新字:公不得已独上章曰元昊精兵不出四五万余皆婦女老弱舉族而行我四路之兵不為少分戍数十城寨彼聚而来故常衆我散故常寡相遇毎不敵是以元昊能数勝今不究此失乃待賊大過以二十万重兵惴然守界濠不敢与虜角臣実痛之願更命近臣観賊之隙如不可不擊則願不疑臣言奏雖未下知兵者以公言為然
書き下し
公已むを得ず獨り章を上りて曰く、元昊の精兵は四五萬を出でず、餘は皆婦女老弱にして、族を舉げて行く。我が四路の兵は少なしと爲さず。分かれて數十の城寨に戍る。彼は聚まりて來たる、故に常に衆し。我は散ず、故に常に寡し。相い遇えば毎に敵せず。是を以て元昊能く數ミ勝つ。今此の失を究めずして、乃ち賊を待つこと大いに過ぐ。二十萬の重兵を以て、惴然として界濠を守り、敢えて虜と角せず。臣實に之を痛む。願わくは更に近臣に命じて賊の隙を觀しめ、如し擊たざる可からずんば、則ち願わくは臣の言を疑わざれと。奏未だ下らずと雖も、兵を知る者、公の言を以て然りと爲す。
現代語訳
韓琦はやむを得ず、一人で上奏文を差し上げた。「元昊の精鋭は四、五万を越えず、残りはみな女子供と老人で、一族を挙げて動いています。我が四つの路の兵は少なくありません。しかし分かれて数十の城や砦を守っている。向こうは集まって来る、だからいつも多い。こちらは散っている、だからいつも少ない。出会えばそのたびに敵しない。だから元昊はたびたび勝てるのです。いまこの失敗を突き詰めもせず、敵を買いかぶることばかりが甚だしい。二十万の重い兵をもって、びくびくと国境の濠を守り、あえて敵と角を突き合わせない。臣は実にこれを痛みます。どうか改めて近臣に命じて敵の隙を見させ、もし撃たなければならないとなったなら、そのときは臣の言葉を疑わないでいただきたい」。上奏に返事は下りなかったが、兵を知る者は韓琦の言うとおりだとした。
解説
この章句が説くこと
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李衛公問対・卷下分かつべくして分たざるは、縻軍と為る。聚まるべくして聚まらざるは、孤旅と為る。
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孫子・虚実篇吾の与に戦う所の地知るべからざれば、知るべからざれば則ち敵の備うる所の者多く、敵の備うる所の者多ければ、則ち吾の与に戦う所の者寡なし。
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孫子・虚実篇故に前に備うれば則ち後寡なく、後に備うれば則ち前寡なし。左に備うれば則ち右寡なく、右に備うれば則ち左寡なし。備えざる所無ければ、則ち寡なからざる所無し。寡なき者は人に備うる者なり、衆き者は人をして己に備えしむる者なり。
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孫子・虚実篇故に人に形せしめて我に形無ければ、則ち我は専まりて敵は分かる。我専まりて一と為り、敵分かれて十と為らば、是れ十を以て其の一を攻むるなり。則ち我は衆くして敵は寡なし。能く衆を以て寡を撃つ者は、則ち吾の与に戦う所の者、約なり。
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『韓非子』南面第十八人臣、事を言うを易くする者は、資を索むること少なくして、事を以て主を誣う。主、誘われて察せず、因りて之を多とすれば、則ち是れ臣反りて事を以て主を制するなり。是くの如き者は之を誘と謂い、事に誘わるる者は患に困しむ。其の進言は少なく、其の退費は多く、功有りと雖も、其の進言信ぜられず。
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論語・子路篇子曰く、苟くも我を用うる者有らば、期月にして已に可なり。三年にして成る有らん。