宋名臣言行録 / 前集巻六・韓億
公布衣時與李康靖同遊止一氈同寢一日分途遂割而分之至汝州太守趙學士請康靖為門客尤敬待公每公至即令設猪肉康靖嘗有簡戲云乆思肉味請兄早訪及趙公有女遂與公議親既過省趙公遣人送女来至京城外旅店中一夕病卒公具素服往哭之康靖為長社每日懸百錢于壁上用盡即已其貧儉如此
新字:公布衣時与李康靖同遊止一氈同寝一日分途遂割而分之至汝州太守趙学士請康靖為門客尤敬待公毎公至即令設猪肉康靖嘗有簡戯云乆思肉味請兄早訪及趙公有女遂与公議親既過省趙公遣人送女来至京城外旅店中一夕病卒公具素服往哭之康靖為長社毎日懸百銭于壁上用尽即已其貧倹如此
書き下し
公、布衣の時、李康靖と同に遊ぶ。止だ一氈のみ。同に寢ぬ。一日、途を分かつ。遂に割きて之を分かつ。汝州に至る。太守趙學士、康靖を請いて門客と為す。尤も敬待す。公の至る毎に、即ち猪肉を設けしむ。康靖、嘗て簡有りて戲れて云う、乆しく肉味を思う。請う、兄早く訪えと。趙公に女有るに及び、遂に公と親を議す。既に省を過ぐ。趙公、人を遣わして女を送りて来たらしむ。京城外の旅店の中に至りて、一夕にして病卒す。公、素服を具えて往きて之を哭す。康靖、長社と為る。毎日、百錢を壁上に懸け、用い盡くせば即ち已む。其の貧儉、此くの如し。
現代語訳
公が布衣であったころ、李若谷といっしょに旅をした。毛氈が一枚しかなかった。同じものにくるまって寝た。ある日、道を分かつことになった。そこで毛氈を切って分けた。汝州に着いた。太守の趙学士が李若谷を招いて食客とした。とりわけ敬って遇した。公が訪ねてくるたび、豚肉を出させた。李若谷はあるとき手紙で戯れて書いた。「久しく肉の味が恋しい。どうか兄上、早く訪ねてきてくれ」。趙公に娘があって、公と縁組を議した。会試を通った。趙公は人をやって娘を送らせた。都の城外の宿屋まで来て、一晩で病死した。公は喪服を用意して行って哭した。李若谷は長社の県令となった。毎日、百銭を壁に掛け、使い切ったらそれで終わりにした。その貧しく倹しいさまは、このとおりであった。
解説
貧しい若い日の記録です。**毛氈が一枚しかなく、同じものにくるまって寝た。道を分かつとき、切って分けた。**手紙の一行が良い。**久しく肉の味が恋しい。どうか兄上、早く訪ねてきてくれ。**訪ねてくれば豚肉が出るからです。そして毎日百銭を壁に掛けて、使い切ったら終わりにする暮らし。締めの「その貧しく倹しいさまはこのとおり」は、後年ともに参知政事まで昇る二人の出発点として置かれています。
この章句が説くこと
止だ一氈のみ同に寝ぬ一日途を分かつ遂に割きて之を分かつ乆しく肉味を思う請う兄早く訪え毎日百銭を壁上に懸け用い尽くせば即ち已む貧窮友倹約
関連する章句
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