宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦
時仁宗以天下多事急於求治手詔宰相杜衍曰朕用韓琦范仲淹富弼皆中外人望有可施行宜以時上之又開天章閣賜坐咨訪急務公條九事大畧備西北選將帥明按察豐財用抑佞倖進有能退不才去冗食謹入官繼又獻七事議稍用而小人巳側目不安二府皆合班奏事公必盡言事雖屬中書公亦對上指陳其實同列尤不恱獨仁宗識之曰韓琦性直
新字:時仁宗以天下多事急於求治手詔宰相杜衍曰朕用韓琦范仲淹富弼皆中外人望有可施行宜以時上之又開天章閣賜坐咨訪急務公条九事大略備西北選将帥明按察豊財用抑佞倖進有能退不才去冗食謹入官継又献七事議稍用而小人巳側目不安二府皆合班奏事公必尽言事雖属中書公亦対上指陳其実同列尤不恱独仁宗識之曰韓琦性直
書き下し
時に仁宗、天下の事多きを以て、治を求むるに急なり。宰相杜衍に手詔して曰く、朕、韓琦・范仲淹・富弼を用う。皆中外の人望なり。施行す可き有らば、宜しく時を以て之を上るべしと。又た天章閣を開き、坐を賜いて急務を咨訪す。公、九事を條す。大畧は、西北を備え、將帥を選び、按察を明らかにし、財用を豐かにし、佞倖を抑え、能有るを進め、不才を退け、冗食を去り、入官を謹むなり。繼いで又た七事を獻ず。議稍く用いらるるも、小人已に側目して安んぜず。二府皆班を合わせて事を奏す。公必ず言を盡くす。事、中書に屬すと雖も、公も亦た上に對して其の實を指陳す。同列尤も恱ばず。獨り仁宗之を識りて曰く、韓琦は性直なりと。
現代語訳
当時、仁宗は天下に事が多いことから、治めることを急いでいた。宰相の杜衍に自筆の詔を下して言った。「朕は韓琦・范仲淹・富弼を用いている。みな内外の人望がある。実行すべきことがあれば、時を移さず差し上げるように」。また天章閣を開き、座を賜って急務を尋ねた。韓琦は九つの事を箇条にした。大要は、西北を備えること、将帥を選ぶこと、監察をはっきりさせること、財用を豊かにすること、へつらう者を抑えること、能力ある者を進めること、才の無い者を退けること、無駄飯食いを除くこと、任官を慎むことである。続いてまた七つの事を献じた。議論は少しずつ用いられたが、小人はすでに横目で見て落ち着かなかった。中書と枢密院がそろって並んで事を奏した。韓琦は必ず言葉を尽くした。事が中書の管轄であっても、韓琦は天子に向かって事実を指し示して述べた。同僚はとりわけ喜ばなかった。ただ仁宗だけがそれを分かって言った。「韓琦は性が直だ」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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新語・辨惑夫れ事を挙ぐる者、或いは善を為して善と称せられず、或いは不善にして善と称せらるるは、何ぞ。之を視る者謬り、之を論ずる者誤ればなり。故に行い或いは世に合い、言或いは耳に順うは、斯れ乃ち上の意に阿り、上の旨に従い、直を操りて方に乖き、曲を懐きて邪に合し、其の剛柔の勢いに因り、為に縦横の術を作る。故に忤逆の言無く、合わざるの義無き者なり。昔哀公有若に問いて曰く、「年饑えて、用足らず、之を如何せん」と。有若対えて曰く、「盍ぞ徹せざる」と。蓋し上を損して之を下に帰すれば、則ち耳に忤い意に合わず、遂に逆いて用いられず。此れ所謂其の行いを正して苟くも世に合わざるなり。有若豈に哀公の意に阿り、国を益するの義を為すを知らざらんや。夫れ君子は直道にして行い、必ず屈辱せらるるを知りて避けず。故に行いは敢えて苟くも合わせず、言は苟くも容れられんと為さず。世に功無しと雖も、名は称するに足る。言は国家に用いられずと雖も、挙措の言は法る可きなり。
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『政談』制度の事右の如く衣服等の制度を定めんにはかはり目のきわ境なくては叶はさること也、先つ東照宮へ御告あるへきことなり、日光御社参を仰せ出され、二年三年も前より御供廻の装束、諸大名の参詣の装束此度は斯の如くあるへしと号令ありて篤と支度させ、夫より直に平日に用ゆるやうに有りたきことなり、右一同上下仕換ゆることなれは、我人悪しきと、又例の手くせを出し利をまうけんとたくむへけれは、其の手当あるへきこと也、右の如く武家の制度を委細に立つること倹約の至極なれとも、諸事を新たに仕換ゆることなれは、当時困窮したる世界にては次第なく急にはなりかたかるへし、只先つ道中幷に御城下は幾何の供廻りを減少し、諸大名は江戸詰の家来を少くし、銭を鋳、貸借の道を開き、御旗本の諸士家中の武士のことは先つ其の儘にし置き、諸事の簡易に取捌くはかりにして最初に町人百姓と武家との差別を急度立つへきことなり、一切の事大そうなる事は先つ粗を立てゝ後に細にするときは仕よきものあり、前後緩急のついでとはこれを云ふなり、
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『新論』守禦夫れ内政修まり、軍令飭ひ、邦国富み、守備班たば、則ち天下の宜しく釐革すべき所の者、大綱挙がる。大綱挙がれば、則ち其の瑣瑣たる者も亦た将に随ひて振起せんとす。夫れ英雄は時を相て変に処す。昔時未だ設けざる所にして、今日宜しく創立すべき所の者、亦た安んぞ熟思して之を講明せざるを得んや。臣を以て之を策すれば曰く、屯兵を設く、曰く、斥候を明らかにす、曰く、水兵を繕ふ、曰く、火器を練る、曰く、資糧を峙ふ。是の五者は、以て創立せざるべからざるなり。
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史記 高祖本紀三王の道は循環するが若く、終はりて復た始まる。周・秦の間は、文敝すと謂ふべし。秦の政改めず、反つて刑法を酷にす、豈に繆(あやま)りならずや。故に漢興り、敝を承けて変を易(か)へ、人をして倦まざらしむ、天統を得たり。朝するに十月を以てす。車服は黄屋左纛なり。長陵に葬る。
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史記 儒林列伝蘭陵の王臧既に詩を受け、以て孝景帝に事へて太子少傅と為り、免じて去る。今上初めて位に即く、臧乃ち上書して上に宿衛し、累遷して、一歳の中に郎中令と為る。及び代の趙綰も亦嘗て詩を申公に受く、綰御史大夫と為る。綰・臧天子に請ひ、明堂を立てて以て諸侯を朝せしめんと欲するも、其の事を就すこと能はず、乃ち師の申公を言ふ。
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『講孟余話』滕文公上 第三章余をして横渠の時に生れしめば、必ず此の事を成さん者をと思へども、幽明道遥かにして詮方なし。況や今囹圄の囚となり、志ありと云へども遂ぐべき様なし。徒に横渠の説を読みて感涙胸を沽すのみ。但し横渠の説は田を画し井となすか最も用意の所と見えたり。仁政は経界より始まるとあれば、此の事固より要務にはあるべけれど、是れは法制に係りたることにて、万一人情に合し土俗に宜からぬことあれば、大いに民間を擾乱するに至る。故に夫れよりは此の一節に云ふ所の実を主として行ひ度きことなり。

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