宋名臣言行録 / 前集巻九・孔道輔
公使契丹契丹燕使者優人以文宣王爲戯公赩然徑出虜使主客者邀還坐且令謝公正色曰中國與北朝通好以禮文相接今俳優之徒侮慢先聖而不之禁北朝之過也道輔何謝虜君臣黙然
新字:公使契丹契丹燕使者優人以文宣王為戯公赩然径出虜使主客者邀還坐且令謝公正色曰中国与北朝通好以礼文相接今俳優之徒侮慢先聖而不之禁北朝之過也道輔何謝虜君臣黙然
書き下し
公、契丹に使いす。契丹、使者に燕す。優人、文宣王を以て戯を爲す。公、赩然として徑ちに出づ。虜、主客者をして邀えて還り坐せしめ、且つ謝せしむ。公、色を正して曰く、中國と北朝と好を通ずるに、禮文を以て相い接す。今、俳優の徒、先聖を侮慢して之を禁ぜず。北朝の過ちなり。道輔、何を謝せんやと。虜の君臣、黙然たり。
現代語訳
公が契丹へ使いした。契丹は使者に宴を張った。芸人が孔子を演じて戯れた。公は真っ赤になってそのまま出て行った。契丹側は接待役に、迎えて席に戻らせ、そのうえ詫びさせようとした。公は顔つきを改めて言った。「中国と北朝が友好を通じるのに、礼と文をもって互いに接している。いま芸人の徒が先聖を侮り、それを禁じない。北朝の過ちである。私がどうして詫びるのか」。契丹の君臣は黙りこんだ。
解説
敵国の宴席を、途中で出た条です。詫びさせようとされたところで、順序を逆にしました。中国と北朝が友好を通じるのに、礼と文をもって互いに接している。いま芸人の徒が先聖を侮り、それを禁じない。北朝の過ちである。私がどうして詫びるのか。席を立ったことを詫びるのではなく、そうさせた側の非を先に置いています。相手は黙りこみました。
この章句が説くこと
優人文宣王を以て戯を為す公赩然として径ちに出づ中国と北朝と好を通ずるに礼文を以て相い接す今俳優の徒先聖を侮慢して之を禁ぜず北朝の過ちなり道輔何を謝せんや外交礼抗議
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