宋名臣言行録 / 前集巻十・种放
种放字明逸隠居終南山豹林谷聞希夷先生之風徃見之希夷一日令洒掃庭除曰當有佳客至明逸作樵夫拜庭下希夷挽而上之曰君豈樵者二十年後當為顯官名聞天下曰放以道義來官禄非所問希夷曰君骨相當爾雖晦迹山林恐竟不能安後真宗召為司諫帝携其手登龍圖閣論天下事辭歸山拜諫議大夫後改工部侍郎先是希夷為明逸卜上世塟地於豹林谷下不定穴既塟希夷見之言地固佳安穴稍低世世當出名將明逸不娶無子自其姪世衡至今為將帥有聲
新字:种放字明逸隠居終南山豹林谷聞希夷先生之風往見之希夷一日令洒掃庭除曰当有佳客至明逸作樵夫拝庭下希夷挽而上之曰君豈樵者二十年後当為顕官名聞天下曰放以道義来官禄非所問希夷曰君骨相当爾雖晦迹山林恐竟不能安後真宗召為司諫帝携其手登竜図閣論天下事辞帰山拝諫議大夫後改工部侍郎先是希夷為明逸卜上世塟地於豹林谷下不定穴既塟希夷見之言地固佳安穴稍低世世当出名将明逸不娶無子自其姪世衡至今為将帥有声
書き下し
种放、字は明逸。終南山の豹林谷に隠居す。希夷先生の風を聞き、徃きて之に見ゆ。希夷、一日、庭除を洒掃せしめて曰く、當に佳客の至る有るべしと。明逸、樵夫と作りて庭下に拜す。希夷、挽きて之を上らしめて曰く、君、豈に樵者ならんや。二十年の後、當に顯官と爲りて名、天下に聞こゆべしと。曰く、放は道義を以て來る。官禄は問う所に非ずと。希夷曰く、君の骨相、當に爾るべし。迹を山林に晦ますと雖も、恐らくは竟に安んずる能わじと。後、真宗、召して司諫と爲す。帝、其の手を携えて龍圖閣に登り、天下の事を論ず。辭して山に歸る。諫議大夫を拜す。後、工部侍郎に改む。是より先、希夷、明逸の爲に上世の塟地を豹林谷の下に卜す。穴を定めず。既に塟る。希夷之を見て言う、地は固より佳し。安んずる穴、稍や低し。世世當に名將を出だすべしと。明逸、娶らずして子無し。其の姪世衡より今に至るまで將帥と爲りて聲有り。
現代語訳
种放、字は明逸。終南山の豹林谷に隠れ住んだ。希夷先生の風を聞いて、会いに行った。希夷はある日、庭を掃き清めさせて言った。「立派な客が来るはずだ」。明逸は樵の姿をして庭で拝礼した。希夷は引き上げて言った。「あなたはどうして樵であろうか。二十年後には高官となって、名が天下に聞こえるはずだ」。「私は道義によって来ました。官と禄は尋ねるところではありません」と言った。希夷は言った。「あなたの骨相はそうなるはずだ。跡を山林に隠しても、おそらくけっきょく安んじてはいられまい」。後に真宗が召して司諫とした。帝はその手を取って龍図閣に登り、天下の事を論じた。辞して山に帰った。諫議大夫に任じられた。後に工部侍郎に改めた。これより前、希夷は明逸のために先祖の墓地を豹林谷の下に占った。穴を定めなかった。葬った後に、希夷はそれを見て言った。「土地はもとより良い。ただ据えた穴が少し低い。代々、名将が出るはずだ」。明逸は妻を娶らず子が無かった。その甥の种世衡から今に至るまで、将帥となって名がある。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『宋名臣言行録』前集巻十・种放放の别業は終南山に在り。後生の之に從いて學ぶ者甚だ衆し。性は酒を嗜む。躬ら耕して秫を種えて以て自ら養う。居る所に林泉の勝有り。殊に幽絶と爲す。真宗之を聞き、中使を遣わし畫工を携えて之を圖せしむ。龍圖閣を開きて輔臣を召して觀しむ。上、之を嘆賞す。其の後、甘棠の魏野の郊居に幽趣有り。帝も亦た人をして之を圖せしむ。故に野に詩有りて曰く、幽居、帝畫きて㸔ると。
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『宋名臣言行録』前集巻十・种放希夷、嘗て放を戒めて曰く、子、他日、明主に遭逢し、進取を假らずして迹、天闕を動かし、名、寰海に馳せん。名は古今の羙器なり。造物者、深く之を忌む。天地の間に完名無し。子の名將に起こる。必ず物の敗る有らん。之を戒む可しと。放、晩節に至り、侈飾度に過ぐ。産を營むこと豐・鎬の間に滿つ。門人・戚屬も亦た勢いを怙みて强併す。嵗入益々厚し。遂に清節を䘮う。
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『宋名臣言行録』前集巻十・种放放、處士を以て召見せらる。真宗、待つに殊禮を以てす。名、海内を動かす。後、謁して終南山に歸る。恩を恃みて驕倨なり。王嗣宗、長安を知る。放至る。通判以下、羣がりて拜謁す。放、小しく俛して首を垂れて之に接するのみ。嗣宗、内に平らかならず。放、其の姪を召して出でて嗣宗を拜せしむ。嗣宗、坐して之を受く。放怒る。嗣宗曰く、向者、通判以下、君を拜す。君、之を扶くるのみ。此れ白丁なるのみ。嗣宗は狀元及第、名位輕からず。胡爲れぞ坐して其の拜を受くるを得ざらんやと。放曰く、君は手搏を以て狀元を得たるのみ。何ぞ道うに足らんやと。嗣宗怒る。遂に疏を上りて言う、放は實に空踈にして才識、人に逾ゆる無し。專ら巧詐を飾りて虚名を盗む。陛下、放を尊禮して擢きて顯官と爲す。臣、恐らくは天下竊かに笑いて、益々澆偽の風を長ぜんと。因りて放の隂事數條を抉摘す。上、兩ながら之を問わずと雖も、放を待つの意、浸く衰う。
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『宋名臣言行録』前集巻五・薛奎公、開封を知る。明參政鎬、府の曹官為り。公、之を待つこと甚だ厚し。直ちに公輔を以て之を期す。其の後、公、秦・益を守る。嘗て辟して以て自ら隨わしむ。優禮特に異なり。或るひと、公に何を以て其の必ず貴きを知るかを問う有り。公曰く、其の人と為り端肅なり。其の言、簡にして理盡くす。凡そ人、簡重なれば則ち尊嚴なり。此れ貴臣の相なりと。其の後、果たして參政に至る。
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『宋名臣言行録』前集巻二・錢若水舉子為りし時、陳希夷に華山に見ゆ。希夷曰く、明日當に再び來るべしと。若水期の如く往きて見れば、一老僧の希夷と地爐を擁して坐する有り。僧、若水を熟視すること之を乆しくして語らず。火箸を以て灰に畫きて做不得の三字を作る。徐ろに曰く、急流中の勇退の人なりと。若水辭し去る。希夷復た留めず。後、若水科に登り、樞宻副使と為り、年方に四十にして致仕す。希夷初め若水に仙風道骨有りと謂うも、意未だ決せず。僧に命じて之を觀しむ。僧云う、做不得と。故に復た留めず。然れども急流中に勇退するは、神仙を去ること逺からざるなり。僧は麻衣道者なり。
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『宋名臣言行録』前集巻一・呂䝉正公既に政を致して洛に居る。真宗汾隂を祀り、洛を過ぐ。文穆尚お能く迎謁す。回鑾に至り已に病む。帝為に其の宅に幸し、問いて曰く、卿が諸子、孰か用う可きと。公對えて曰く、臣が諸子は皆な豚犬にして用うるに足らず。姪の夷簡有り、潁州の推官に任ず。宰相の才なりと。帝其の語を記し、遂に大用に至る。是より先、富韓公の父貧しきこと甚だし。公の門下に客たり。一日公に白して曰く、某が兒子十許歳、書院に入りて廷評大祝に事えしめんと欲すと。公之を許す。其の子は韓公なり。公之を見て驚きて曰く、此の兒他日の名位、吾と相い似んと。亟かに諸子と同學せしめ、供給甚だ厚し。公兩たび相に入り、司徒を以て致仕す。後、韓公も亦た兩たび相に入り、司徒を以て致仕す。文穆の人を知るの術此くの如し。