宋名臣言行録 / 前集巻七・杜衍
又曰今之在上者多擿發下位小節是誠不恕也衍知兖州時州縣官有累重而素貧者以公租所得均給之公租不給即繼以公帑量其小大咸使自足尚有復侵擾者真貪吏也於義可責又曰衍厯知州提轉安撫未嘗壊一箇官員其間不職者即委以事使之不暇惰不慎者諭以禍福俾之自新從而遷善者甚衆不必繩以法也其有文學政事殊行絶徳者雖不識面未嘗不力薦於朝有一善可稱一長可錄者亦未嘗不隨所能而薦之
新字:又曰今之在上者多擿発下位小節是誠不恕也衍知兖州時州県官有累重而素貧者以公租所得均給之公租不給即継以公帑量其小大咸使自足尚有復侵擾者真貪吏也於義可責又曰衍厯知州提転安撫未嘗壊一箇官員其間不職者即委以事使之不暇惰不慎者諭以禍福俾之自新従而遷善者甚衆不必縄以法也其有文学政事殊行絶徳者雖不識面未嘗不力薦於朝有一善可称一長可録者亦未嘗不随所能而薦之
書き下し
又た曰く、今の上に在る者、多く下位の小節を擿發す。是れ誠に恕せざるなり。衍、兖州を知る時、州縣の官に累重くして素より貧しき者有り。公租の得る所を以て之を均給す。公租給せざれば即ち繼ぐに公帑を以てす。其の小大を量りて、咸な自ら足らしむ。尚お復た侵擾する者有らば、真の貪吏なり。義に於て責む可しと。又た曰く、衍、州を知り提轉・安撫を厯するに、未だ嘗て一箇の官員をも壊らず。其の間、不職なる者は、即ち委ぬるに事を以てし、之をして惰るに暇あらざらしむ。不慎なる者は、諭すに禍福を以てし、之をして自ら新たならしむ。從いて善に遷る者甚だ衆し。必ずしも繩するに法を以てせざるなり。其の文學・政事・殊行・絶徳有る者は、面を識らずと雖も、未だ嘗て力めて朝に薦めずんばあらず。一善の稱す可き、一長の錄す可き者有らば、亦た未だ嘗て所能に隨いて之を薦めずんばあらず。
現代語訳
また言った。「いまの上に立つ者は、多くが下の者の小さな節目をあばき立てる。これはまことに思いやりが無い。私が兗州の長官であったとき、州県の官人で家族が多くもともと貧しい者があった。官の租から得られるものでそれを均等に配った。官の租で足りなければ、官の蔵で継いだ。それぞれの大小を量って、みな自分で足りるようにさせた。それでもなお民を侵し騒がせる者があれば、それは本当の貪官である。義として責めてよい」。また言った。「私は州の長官となり、提点・転運・安撫を歴任したが、一人の官員をも潰したことがない。その中で職務を果たさない者には、仕事を委ねて、怠ける暇が無いようにさせた。慎みの無い者には、禍と福を説いて、自ら改めさせた。それに従って善に移った者はたいそう多い。必ずしも法で縛らなくてもよいのだ。文学や政事に優れ、際立った行いと絶えた徳のある者は、顔を知らなくても、力を尽くして朝廷に推薦しないことはなかった。一つの善が称えられ、一つの長所が記録できる者があれば、やはりその能力に応じて推薦しないことはなかった」。
解説
この章句が説くこと
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