宋名臣言行録 / 前集巻八・王徳用
章獻臨朝有詔補一軍吏公曰補吏軍政也敢挾詔書以干吾軍亟請罷之太后固欲與之公不奉詔乃止及太后上仙有司請衛士坐甲公以爲故事無爲太后䘮坐甲又不奉詔於是天子以公可任大事
新字:章献臨朝有詔補一軍吏公曰補吏軍政也敢挟詔書以干吾軍亟請罷之太后固欲与之公不奉詔乃止及太后上仙有司請衛士坐甲公以為故事無為太后喪坐甲又不奉詔於是天子以公可任大事
書き下し
章獻臨朝す。詔有りて一軍吏を補す。公曰く、吏を補するは軍政なり。敢えて詔書を挾みて以て吾が軍に干せんやと。亟かに之を罷めんことを請う。太后固く之に與えんと欲す。公、詔を奉ぜず。乃ち止む。太后の上仙するに及び、有司、衛士の坐甲を請う。公、以爲えらく、故事、太后の䘮の爲に坐甲するは無しと。又た詔を奉ぜず。是に於て天子、公を以て大事に任ず可しとす。
現代語訳
章献太后が朝に臨んでいた。詔が下って軍の役人を一人任じた。公は言った。「役人を任じるのは軍政である。どうして詔書をかざして我が軍に立ち入れようか」。すぐにそれを取り消すよう求めた。太后は固くそれを与えようとした。公は詔を奉じなかった。そこで取りやめになった。太后が崩じたとき、担当の役所が衛士に甲冑を着けて詰めさせるよう求めた。公は、先例では太后の喪のために甲冑を着けて詰めることはない、と考えた。やはり詔を奉じなかった。そこで天子は、公は大事を任せられると考えた。
解説
詔を、二度受け取らなかった条です。一度目は軍の人事でした。**役人を任じるのは軍政である。どうして詔書をかざして我が軍に立ち入れようか。**詔だから通る、という筋を認めていません。二度目は先例に無いという理由。**そこで天子は、公は大事を任せられると考えた。**言うことを聞かないことが、任せる理由になっている。
この章句が説くこと
吏を補するは軍政なり敢えて詔書を挟みて以て吾が軍に干せんや故事太后の喪の為に坐甲するは無し又た詔を奉ぜず是に於て天子公を以て大事に任ず可しとす軍政独立先例
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