宋名臣言行録 / 後集巻八・吕希哲
公既除諌官累辭未獲蘇子瞻在邇英戲謂公曰法筵龍象當觀第一義公笑而不答退謂范淳甫曰若辭不獲命必以楊畏為首時畏方在言路以險詐自任頗為子瞻所厚公故及之
新字:公既除諌官累辞未獲蘇子瞻在邇英戯謂公曰法筵竜象当観第一義公笑而不答退謂范淳甫曰若辞不獲命必以楊畏為首時畏方在言路以険詐自任頗為子瞻所厚公故及之
書き下し
公既に諫官を除せられ、累ミ辭するも獲ず。蘇子瞻邇英に在り、戲れて公に謂いて曰く、法筵の龍象、當に第一義を觀るべしと。公笑いて答えず。退きて范淳甫に謂いて曰く、若し辭して命を獲ずんば、必ず楊畏を以て首と爲さんと。時に畏方に言路に在り、險詐を以て自ら任じ、頗る子瞻の厚くする所と爲る。公故に之に及ぶ。
現代語訳
公は諫官に任じられ、何度も辞退したが許されなかった。蘇軾が邇英閣にいて、戯れて公に言った。「法筵の龍象たるもの、まさに第一義を観るべし」。公は笑って答えなかった。退がって范祖禹に言った。「もし辞退が許されなければ、必ず楊畏を手はじめとしよう」。当時、楊畏はちょうど言論の職にあり、あくどい策をもって自ら任じ、たいそう蘇軾に目をかけられていた。公はそれでこれに言い及んだのである。
解説
からかいに、その場で応じなかった条です。**公は笑って答えなかった。**そして退がってから、別の人に一言だけ言い置きました。**もし辞退が許されなければ、必ず楊畏を手はじめとしよう。**就任前に、最初に弾劾する相手を決めている。しかもその相手は、からかった当人が目をかけている人でした。**たいそう蘇軾に目をかけられていた。**その場で言い返さず、就いた後に何をするかで答えています。
この章句が説くこと
公既に諫官を除せられ累ミ辞するも獲ず法筵の竜象当に第一義を観るべし若し辞して命を獲ずんば必ず楊畏を以て首と為さん時に畏方に言路に在り険詐を以て自ら任じ頗る子瞻の厚くする所と為る諫官就任
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