宋名臣言行録 / 後集巻八・吕公著
介甫與晦叔素親患臺諌多横議故用晦叔為中丞既而天下皆患條例司為民害晦叔乃復言條例不便介甫以晦叔叛已怨之尤深已而上語執政吕公著嘗言韓琦將興晉陽之甲以除君側之惡介甫因用為晦叔罪除知頴州
新字:介甫与晦叔素親患台諌多横議故用晦叔為中丞既而天下皆患条例司為民害晦叔乃復言条例不便介甫以晦叔叛已怨之尤深已而上語執政呂公著嘗言韓琦将興晉陽之甲以除君側之悪介甫因用為晦叔罪除知頴州
書き下し
介甫は晦叔と素より親し。臺諫に横議多きを患う。故に晦叔を用いて中丞と爲す。既にして天下皆條例司の民の害と爲るを患う。晦叔乃ち復た條例の不便を言う。介甫晦叔の己に叛くを以て之を怨むこと尤も深し。已にして上執政に語る、呂公著嘗て韓琦將に晉陽の甲を興して以て君側の惡を除かんとすと言えりと。介甫因りて用いて晦叔の罪と爲し、頴州を知せしむ。
現代語訳
王安石は呂公著ともとから親しかった。御史台や諫院に勝手な議論が多いのを憂えていた。そこで呂公著を用いて御史中丞とした。まもなく天下はみな、条例司が民の害となっていることを憂えた。呂公著はそこで、条例の不都合をあらためて述べた。王安石は呂公著が自分に背いたとして、これを怨むことがとりわけ深かった。やがて天子が執政たちに語った。「呂公著はかつて『韓琦は晋陽の兵を起こして君側の悪を除こうとしている』と言った」。王安石はそこでそれを持ち出して呂公著の罪とし、潁州の知事に出した。
解説
据えた側の目算が、そのまま外れた条です。狙いは明らかでした。**御史台や諫院に勝手な議論が多いのを憂えていた。そこで呂公著を用いて御史中丞とした。**親しい人を、批判する職に置く。ところがその人は、その職を職として務めました。**条例の不都合をあらためて述べた。**怨みの深さが書かれています。**自分に背いたとして、これを怨むことがとりわけ深かった。**背いたのではなく、就いた職に忠実だっただけです。
この章句が説くこと
介甫は晦叔と素より親し台諫に横議多きを患う故に晦叔を用いて中丞と為す晦叔乃ち復た条例の不便を言う介甫晦叔の己に叛くを以て之を怨むこと尤も深し起用期待
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