宋名臣言行録 / 前集巻十・林逋
林逋字君復居杭州西湖之孤山真宗聞其名賜號和靖處士詔長吏嵗時勞問逋工筆畫善為詩如草泥行郭索雲木呌鉤輈頗爲士夫所稱又梅花詩云踈影横斜水清淺暗香浮動月黄昏評詩者謂前世詠梅者多矣未有此句也又其臨終為句云茂陵他日求遺藁猶喜初無封禪書尤為人稱誦(歸田錄)逋景祐初尚無恙范文正公亦過其廬贈逋詩曰巢由不願仕堯舜豈遺人又曰風俗因君厚文章到老醇其激賞如此
新字:林逋字君復居杭州西湖之孤山真宗聞其名賜号和靖処士詔長吏歳時労問逋工筆画善為詩如草泥行郭索雲木呌鉤輈頗為士夫所称又梅花詩云踈影横斜水清浅暗香浮動月黄昏評詩者謂前世詠梅者多矣未有此句也又其臨終為句云茂陵他日求遺藁猶喜初無封禅書尤為人称誦(帰田録)逋景祐初尚無恙范文正公亦過其廬贈逋詩曰巣由不願仕堯舜豈遺人又曰風俗因君厚文章到老醇其激賞如此
書き下し
林逋、字は君復。杭州西湖の孤山に居る。真宗、其の名を聞き、和靖處士の號を賜う。長吏に詔して歳時に勞問せしむ。逋、筆畫に工なり。善く詩を爲る。草泥に行く郭索、雲木に叫ぶ鉤輈の如きは、頗る士夫の稱する所と爲る。又た梅花の詩に云う、踈影横斜、水清淺、暗香浮動、月黄昏と。詩を評する者謂う、前世、梅を詠ずる者多し。未だ此の句有らざるなりと。又た其の臨終に句を爲りて云う、茂陵、他日、遺藁を求めば、猶お喜ぶ、初めより封禪の書無きをと。尤も人の稱誦と爲る。逋、景祐の初め、尚お恙無し。范文正公も亦た其の廬を過ぎ、逋に贈る詩に曰く、巢由は堯舜に仕うるを願わず。豈に人を遺さんや。又た曰く、風俗、君に因りて厚く、文章、老いに到りて醇なりと。其の激賞、此くの如し。
現代語訳
林逋、字は君復。杭州西湖の孤山に住んだ。真宗はその名を聞いて、「和靖処士」の号を賜った。地方の長官に詔を下して、季節ごとに見舞わせた。林逋は絵が巧みで、詩を作るのが上手かった。「草泥を行く郭索(蟹)、雲間の木に鳴く鉤輈(鷓鴣)」といった句は、たいそう士大夫に称えられた。また梅花の詩にこうある。「疎らな影が横に斜めに、水は清く浅い。ほのかな香りが漂い動く、月は黄昏」。詩を評する者は言った。「前の世に梅を詠んだ者は多い。まだこの句は無かった」。またその臨終に句を作って言った。「茂陵がいつか遺稿を求めたなら、それでも喜ばしい、はじめから封禅の書が無いことが」。とりわけ人が称えて口ずさんだ。林逋は景祐のはじめ、まだ健在であった。范仲淹もその庵を訪ねて、林逋に贈った詩に言う。「巣父と許由は堯舜に仕えることを願わなかった。それで人を取り逃がしたといえようか」。また言う。「風俗は君によって厚くなり、文章は老いに至って醇になった」。その激賞ぶりは、このとおりであった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『宋名臣言行録』前集巻九・李及公、杭州を知る。毎に林逋を孤山に訪う。林麓を望みて導從を屏け、歩して其の廬に入る。一日、雪を冒して郊に出づ。衆、當に酒を置きて客を召すべしと謂う。乃ち獨り逋を造り、清談して暮に至りて返る。逋死す。公、䘮服を以て哭送し、墓に拜して乃ち歸る。吳兒、是れより其の風俗の薄きを恥ず。
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『宋名臣言行録』前集巻二・李沆或ひと梅詢の用う可きを薦む。真宗曰く、李沆嘗て其の君子に非ざるを言えりと。時に沆沒して二十餘年なり。歐陽文忠嘗て蘓子容に問いて云う、宰相沒して二十年、能く人主をして其の言を追信せしむるは、何の道を以てするかと。子容言う、獨り無心を以てするのみと。軾謂えらく、陳執中は俗吏のみ。特だ至公を以てして猶お信を主上に取る。況んや李公の才識の如くにして之に濟うに無心を以てするをや。
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『宋名臣言行録』前集巻十・种放放の别業は終南山に在り。後生の之に從いて學ぶ者甚だ衆し。性は酒を嗜む。躬ら耕して秫を種えて以て自ら養う。居る所に林泉の勝有り。殊に幽絶と爲す。真宗之を聞き、中使を遣わし畫工を携えて之を圖せしむ。龍圖閣を開きて輔臣を召して觀しむ。上、之を嘆賞す。其の後、甘棠の魏野の郊居に幽趣有り。帝も亦た人をして之を圖せしむ。故に野に詩有りて曰く、幽居、帝畫きて㸔ると。
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『宋名臣言行録』後集巻五・范鎮東坡云う、景仁は平生佛を好まず。晚年清愼、嗜慾を減節し、一物も心に芥蔕せず。却って是れ學佛の作家なり。然れども死に至るまで佛法を取らずと。
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『宋名臣言行録』前集巻七・范仲淹公、杭州に在り。子弟、公に退く志有るを以て、間に乘じて第を洛陽に治め、園圃を樹えて以て逸老の地と為さんことを請う。公曰く、人、茍しくも道義の樂しみ有らば、形骸すら外にす可し。況んや居室をや。吾れ今、年六十を踰ゆ。生くること且つ幾ばくも無し。乃ち第を樹て圃を治むるを謀るも、顧みて何れの時にか居らんや。吾が患う所は位髙くして退くに艱むに在り。退きて居無きを患えず。且つ西都の士大夫、園林相い望む。主人為る者、常に遊ぶを得る莫し。而して誰か獨り吾が遊ぶを障げんや。豈に必ずしも諸を已に有して而る後に樂しみと為さんやと。