宋名臣言行録 / 後集巻八・吕公著
邇英進讀上留公論治道遂及釋老虚寂之㫖公問曰堯舜知此道乎上曰堯舜豈不知公曰堯舜雖知此而常以知人安民為志
新字:邇英進読上留公論治道遂及釈老虚寂之旨公問曰堯舜知此道乎上曰堯舜豈不知公曰堯舜雖知此而常以知人安民為志
書き下し
邇英に進讀す。上公を留めて治道を論じ、遂に釋老虚寂の㫖に及ぶ。公問いて曰く、堯舜此の道を知れりやと。上曰く、堯舜豈に知らざらんやと。公曰く、堯舜此を知ると雖も、而して常に人を知り民を安んずるを以て志と爲せりと。
現代語訳
邇英閣で進読した。天子は公を引き留めて治める道を論じ、そのまま仏教と道教の虚寂の趣旨に及んだ。公は問うて言った。「堯舜はこの道を知っていたでしょうか」。天子は言った。「堯舜がどうして知らないことがあろうか」。公は言った。「堯舜はこれを知ってはいましたが、それでも常に、人を知り民を安んずることを志としました」。
解説
話が虚寂へ流れたときの戻し方です。まず否定しませんでした。堯舜はこの道を知っていたでしょうか。天子の答えを引き出して、その答えに乗ります。堯舜がどうして知らないことがあろうか。そこで一句だけ足しました。それでも常に、人を知り民を安んずることを志としました。知っていたかどうかは争点にせず、知ったうえで何を志にしたかへ移す。深い話を否定せずに、位置を下げています。
この章句が説くこと
上公を留めて治道を論じ遂に釈老虚寂の旨に及ぶ堯舜此の道を知れりや堯舜豈に知らざらんや堯舜此を知ると雖も而して常に人を知り民を安んずるを以て志と為せり虚寂実務
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