宋名臣言行録 / 前集巻七・范仲淹
公以朱氏長育有恩常思厚報之及貴用南郊所加恩乞贈朱氏父太常博士暨諸子皆公為葬之嵗别為饗祭朱氏他子弟以公䕃得補官者三人
新字:公以朱氏長育有恩常思厚報之及貴用南郊所加恩乞贈朱氏父太常博士暨諸子皆公為葬之歳別為饗祭朱氏他子弟以公䕃得補官者三人
書き下し
公、朱氏の長育に恩有るを以て、常に厚く之に報いんことを思う。貴きに及び、南郊の加うる所の恩を用い、朱氏の父に太常博士を贈らんことを乞う。暨び諸子、皆な公之が為に之を葬る。歳に别に饗祭を為す。朱氏の他の子弟、公の䕃を以て官に補せらるるを得る者三人。
現代語訳
公は朱氏に養い育ててもらった恩があるので、いつも手厚く報いたいと思っていた。貴い身になってから、南郊の祭で加えられる恩典を使って、朱氏の父に太常博士の位を贈るよう願い出た。そして朱家の子らを、みな公が葬った。毎年、別に祭りを行った。朱家の他の子弟で、公の蔭位によって官に就くことができた者が三人あった。
解説
母の再嫁先の家に、報いた条です。**朱氏に養い育ててもらった恩がある。**成長して生家を知り、泣いてそこを去った——その同じ家です。去ったことと恩を返さないことは別だ、ということになります。**父に位を贈らせ、子らを葬り、毎年祭りを行い、三人を蔭位で官に就けた。**去った家に、生涯かけて返し続けています。
この章句が説くこと
公朱氏の長育に恩有るを以て常に厚く之に報いんことを思う南郊の加うる所の恩を用い朱氏の父に太常博士を贈らんことを乞う朱氏の他の子弟公の䕃を以て官に補せらるるを得る者三人恩返し養家義理
関連する章句
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『宋名臣言行録』前集巻七・范仲淹公、服中に宰相に書を上り、朝政の得失及び民間の利病を言う。凡そ萬餘言。王曽、見て之を偉とす。時に晏殊も亦た京師に在り。一人を薦めて館職と為す。曽、殊に謂いて曰く、公、范仲淹を知る。捨てて薦めずして斯の人を薦むるかと。已に公の為に置きて行わず。宜しく更に仲淹を薦むべしと。殊之に從う。遂に館職に除す。頃くして冬至、仗を立つ。禮官、議を定め、章獻に媚びんと欲す。天子、百官を帥いて夀を庭に獻ぜんことを請う。公奏して不可とす。殊大いに懼れ、公を召して之を責め怒り、以て狂と為す。公、色を正して抗言して曰く、仲淹、明公の誤知を受け、常に稱わずして知己の為に羞を為さんことを懼る。意わざりき、今日、更に正論を以て門下に罪を獲んとはと。殊慙じて以て應うる無し。