宋名臣言行録 / 後集巻七・司馬光
魏公言君實初除樞副竟辭不受時公在魏聞之亟遣人賫書與潞公勉之云主上倚重之厚庶幾行道道或不行然後去之可也似不須堅譲潞公以書呈君實君實云自古被這般官爵引得壞了名節為不少矣後得寛夫書云君實作事今人所不可及須求之古人
新字:魏公言君実初除枢副竟辞不受時公在魏聞之亟遣人賫書与潞公勉之云主上倚重之厚庶幾行道道或不行然後去之可也似不須堅譲潞公以書呈君実君実云自古被這般官爵引得壊了名節為不少矣後得寛夫書云君実作事今人所不可及須求之古人
書き下し
魏公言う、君實初め樞副を除せられ竟に辭して受けず。時に公魏に在り。之を聞きて亟かに人を遣わし書を賫して潞公に與えて之を勉めしめて云う、主上の倚重の厚きは、庶わくは道を行わん。道或いは行われずんば然る後に之を去るも可なり。堅く譲るを須いざるに似たりと。潞公書を以て君實に呈す。君實云う、古より這般の官爵に引き得られて名節を壞す者少なからずと。後に寛夫の書を得て云う、君實の事を作すは今人の及ぶ可からざる所。須らく之を古人に求むべしと。
現代語訳
韓琦が言った。「君実がはじめ枢密副使に任じられて、ついに辞退して受けなかった。当時、私は魏にいた。これを聞いて急いで人を遣わし、手紙を持たせて文彦博に届け、彼を励ましてもらおうとしてこう書いた。『主上の頼み重んじられ方が厚いのだから、道が行われることを期待できよう。道がもし行われないなら、そのときに去ればよい。強いて辞退する必要はないように思われる』。文彦博はその手紙を君実に見せた。君実は言った。『古来、この手の官爵に引き寄せられて名節を壊した者は、少なくない』。後に文彦博の手紙が届いて、こうあった。『君実の事のなしようは、いまの人には及ばないところである。古人に求めるほかない』」。
解説
韓琦の言い分は現実的です。**道が行われることを期待できよう。道がもし行われないなら、そのときに去ればよい。**まず入って、駄目なら出ればよい。誰もがそうします。返事が一行でした。**古来、この手の官爵に引き寄せられて名節を壊した者は、少なくない。**入れば、出るのが難しくなる。地位そのものが、判断を鈍らせる。仲介した人の感想が、この条を締めています。**古人に求めるほかない。**
この章句が説くこと
君実初め枢副を除せられ竟に辞して受けず道或いは行われずんば然る後に之を去るも可なり堅く譲るを須いざるに似たり古より這般の官爵に引き得られて名節を壊す者少なからず君実の事を作すは今人の及ぶ可からざる所須らく之を古人に求むべし官爵名節
関連する章句
-
説苑・善說齊景公子貢に謂いて曰く、「子誰をか師とする。」曰く、「臣仲尼を師とす。」公曰く、「仲尼賢なるか。」對えて曰く、「賢なり。」公曰く、「其の賢たること何如。」對えて曰く、「知らざるなり。」公曰く、「子其の賢を知りて其の奚若たるを知らざるは、可ならんか。」對えて曰く、「今天高しと謂うに、少長愚智と無く皆高きを知る。高きこと幾何ぞや。皆知らずと曰う。是を以て仲尼の賢を知りて其の奚若たるを知らざるなり。」
-
論語・子張篇子游曰く、吾が友張や、能くし難きことを為すなり。然れども未だ仁ならず。
-
論語・憲問篇子曰く、『驥は其の力を称せず、その徳を称すなり。』
-
史記 管晏列伝鮑叔既に管仲を進め、身を以て之に下る。子孫世々斉に禄せられ、封邑を有つこと十余世、常に名大夫為り。天下、管仲の賢を多とせずして、鮑叔の能く人を知るを多とす。
-
論語・憲問篇子曰く、人の己を知らざるを患えず、其の能わざるを患う。
-
論語・子張篇陳子禽、子貢に謂いて曰く、「子は恭を為すなり。仲尼豈に子より賢らんや。」子貢曰く、「君子は一言以て知と為し、一言以て不知と為す。言は慎まざる可からざるなり。夫子の及ぶ可からざるや、猶お天の階して升る可からざるがごときなり。夫子の邦家を得たらば、所謂『之を立つれば斯に立ち、之を道けば斯に行き、之を綏んずれば斯に来たり、之を動かせば斯に和す。其の生くるや栄え、其の死するや哀しむ』。之を如何ぞ其れ及ぶ可けんや。」