宋名臣言行録 / 後集巻五・吕誨
神宗天資節儉因得老宫人言祖宗時妃嬪公主月俸甚㣲嘆其不可及安石獨曰陛下果能理財雖以天下自奉可也帝始有意主青苗助役之法矣安石之術類如此故吕誨彈章有曰外示朴野中懐狡詐
新字:神宗天資節倹因得老宫人言祖宗時妃嬪公主月俸甚㣲嘆其不可及安石独曰陛下果能理財雖以天下自奉可也帝始有意主青苗助役之法矣安石之術類如此故呂誨弾章有曰外示朴野中懐狡詐
書き下し
神宗は天資節儉なり。老宮人の言を得るに因りて、祖宗の時の妃嬪公主の月俸甚だ微なるを知り、其の及ぶ可からざるを嘆ず。安石獨り曰く、陛下果たして能く財を理めば、天下を以て自ら奉ずと雖も可なりと。帝始めて青苗助役の法を主とするに意有り。安石の術は類ミ此くの如し。故に呂誨の彈章に曰く有り、外に朴野を示し、中に狡詐を懷くと。
現代語訳
神宗は生まれつき節倹であった。年老いた宮人の話を聞いて、祖宗の時代の妃嬪や公主の月々の俸給がきわめて少なかったことを知り、その域に及びがたいことを嘆じた。王安石ひとりが言った。「陛下がまことに財政を整えられるなら、天下をもって自らの暮らしに充てても差し支えありません」。帝ははじめて青苗法や助役法を主とすることに意を向けた。王安石の手口はおおむねこの類である。だから呂誨の弾劾の文にこうある。「外には素朴を装い、内には狡猾を抱いている」。
解説
倹約に感心している天子に、逆のことを言った場面です。**陛下がまことに財政を整えられるなら、天子をもって自らの暮らしに充てても差し支えありません。**倹約せずに済む道がある、という誘い方でした。そして、そこから財政改革への関心が生まれます。**帝ははじめて青苗法や助役法を主とすることに意を向けた。**書き手はこの一件を、弾劾文の一句の証拠として置いています。**外には素朴を装い、内には狡猾を抱いている。**同じ人を、韓琦は手紙から、張方平は言と行から、呂誨は装いと中身の差から見ました。
この章句が説くこと
神宗は天資節倹なり祖宗の時の妃嬪公主の月俸甚だ微なるを知り其の及ぶ可からざるを嘆ず陛下果たして能く財を理めば天下を以て自ら奉ずと雖も可なり外に朴野を示し中に狡詐を懐く倹約財政
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