宋名臣言行録 / 後集巻五・趙抃
以母越國夫人喪廬于墓三年不宿于家縣榜其所居里為孝悌處士孫處為作孝子傳
新字:以母越国夫人喪廬于墓三年不宿于家県榜其所居里為孝悌処士孫処為作孝子伝
書き下し
母越國夫人の喪を以て、墓に廬すること三年、家に宿らず。縣其の居る所の里に榜して孝悌處士と爲す。孫處爲に孝子傳を作る。
現代語訳
母の越国夫人の喪にあたり、墓のそばに小屋を建てて住むこと三年、家に泊まらなかった。県はその住んでいた里に掲示を出して「孝悌処士」とした。孫処はそのために孝子伝を作った。
解説
三十四字です。喪に服すこと自体は制度でした。この人の場合、書かれているのは日数ではなく、しなかったことのほうです。家に泊まらなかった。三年のあいだ一度もです。里ぐるみで掲示が出され、伝記まで作られました。この巻の趙抃は、このあと「鉄面御史」と呼ばれ、権勢家を容赦なく弾劾していきます。その厳しさが、まずこういう形で自分に向いていた、という順序で置かれています。
この章句が説くこと
母越国夫人の喪を以て墓に廬すること三年家に宿らず県其の居る所の里に榜して孝悌処士と為す孫処為に孝子伝を作る喪孝
関連する章句
-
論語・里仁篇子曰く、三年父の道を改むること無きは、孝と謂う可し。
-
論語・学而篇子曰く、「父在せば其の志を観、父没すれば其の行いを観る。三年父の道を改むること無くんば、孝と謂う可し。」
-
『甲陽軍鑑』品第四十たとへ信玄が死する跡にて何たる分別なき侍に代をつがするとも三年はたもたん、まへの大将死して三年たもつやうにするは前代の手がらなり、四年目からは後の大将分別よければ、ほまれあしければ恥なり、就中天下の儀二代たもつは、たゝの家百代たもつより弓箭を取てのほまれなりと信玄公の仰られつるを存ずれば、
-
『徂徠先生答問書』卷中一孝行の儀御尋に候。成程聖人の教には孝弟忠信を中庸の徳行と名付け、是を貴賤によらず人たる者の勤め行ふべき事といたし申候。君子の道も、是を土台にいたし不申候得ば、高きにのぼるに楷梯なきがごとくに御座候。舜の契を司徒の官になされ、五倫を教へしめ給ふも、孔子の民に中庸の徳なき事を御なげき被成候も同意にて御座候。孝は父母によくつかへ候事、弟は兄長によくつかへ候事、忠は君につかゆるにても、又たれにても、人のためになし候事をば我身の事のごとくに如在なく身にかけ申候事に候。信と申候は、朋友其外あまねくの人にまじはり申候には言語を慎み偽り違候事なきやうに致し候を申候。是にて父母兄弟君臣朋友の道こもり申候故、五倫と申候も、中庸と申候も、孝弟忠信と申候も、ひとつ事にて御座候。
-
論語・為政篇孟武伯孝を問う。子曰く、「父母は唯其の疾(やまい)を之憂う。」
-
尚書・君陳王若(かく)のごとく曰く、「君陳よ、惟れ爾令徳にして孝恭なり。惟れ孝にして、兄弟に友に、克く有政に施す。汝に命じて茲の東郊を尹(をさ)めしむ、敬せよや。昔周公万民を師保し、民其の徳を懐く。往きて乃の司を慎み、茲に厥の常に率へ。懋めて周公の訓を昭らかにせば、惟れ民其れ乂まらん。我聞く、曰く、

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る