宋名臣言行録 / 後集巻五・趙抃
以母越國夫人喪廬于墓三年不宿于家縣榜其所居里為孝悌處士孫處為作孝子傳
新字:以母越国夫人喪廬于墓三年不宿于家県榜其所居里為孝悌処士孫処為作孝子伝
書き下し
母越國夫人の喪を以て、墓に廬すること三年、家に宿らず。縣其の居る所の里に榜して孝悌處士と爲す。孫處爲に孝子傳を作る。
現代語訳
母の越国夫人の喪にあたり、墓のそばに小屋を建てて住むこと三年、家に泊まらなかった。県はその住んでいた里に掲示を出して「孝悌処士」とした。孫処はそのために孝子伝を作った。
解説
三十四字です。喪に服すこと自体は制度でした。この人の場合、書かれているのは日数ではなく、しなかったことのほうです。**家に泊まらなかった。**三年のあいだ一度もです。里ぐるみで掲示が出され、伝記まで作られました。この巻の趙抃は、このあと「鉄面御史」と呼ばれ、権勢家を容赦なく弾劾していきます。その厳しさが、まずこういう形で自分に向いていた、という順序で置かれています。
この章句が説くこと
母越国夫人の喪を以て墓に廬すること三年家に宿らず県其の居る所の里に榜して孝悌処士と為す孫処為に孝子伝を作る喪孝
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