宋名臣言行録 / 前集巻九・孫甫
慶歴中孫甫蔡襄爲諫官言宰臣晏殊役官兵治邸舍懷安茍且無向公之心遂罷殊政事而甫等因薦富弼代殊上怒以謂進用宰相人主之任臣下不宜有所指陳遂相陳執中而甫等極言執中不可用不聽求罷
新字:慶歴中孫甫蔡襄為諫官言宰臣晏殊役官兵治邸舎懐安茍且無向公之心遂罷殊政事而甫等因薦富弼代殊上怒以謂進用宰相人主之任臣下不宜有所指陳遂相陳執中而甫等極言執中不可用不聴求罷
書き下し
慶歴中、孫甫・蔡襄、諫官と爲る。宰臣晏殊、官兵を役して邸舍を治め、懷安・茍且にして公に向かうの心無きを言う。遂に殊の政事を罷む。而して甫等、因りて富弼を薦めて殊に代えんとす。上怒りて、以謂えらく、宰相を進用するは人主の任なり。臣下、指陳する所有るべからずと。遂に陳執中を相とす。而して甫等、極めて執中の用う可からざるを言う。聽かれず。罷めんことを求む。
現代語訳
慶暦年間、孫甫と蔡襄が諫官であった。宰相の晏殊が、官の兵を使役して邸宅を修理し、安逸に流れて間に合わせで、公に向かう心が無いと述べた。そこで晏殊の政事を罷めさせた。そして孫甫らは、それに乗じて富弼を推薦して晏殊に代えようとした。帝は怒って、こう考えた。宰相を任用するのは君主の職務である。臣下が名指しで述べるべきではない、と。そこで陳執中を宰相とした。そして孫甫らは、陳執中は用いるべきでないと極言した。聴かれなかった。辞職を求めた。
解説
弾劾は通ったが、後任の推薦で躓いた条です。**宰相を任用するのは君主の職務である。臣下が名指しで述べるべきではない。**帝は怒って、推された人ではなく別の人を宰相にしました。**そして孫甫らは、その人は用いるべきでないと極言した。聴かれなかった。**退けることと、代わりを立てることは別の職務だ、という線が引かれています。踏み越えた結果、逆の人事になりました。
この章句が説くこと
官兵を役して邸舎を治め懐安茍且にして公に向かうの心無し宰相を進用するは人主の任なり臣下指陳する所有るべからず遂に陳執中を相とす甫等極めて執中の用う可からざるを言う弾劾越権人事
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