宋名臣言行録 / 前集巻五・薛奎
明肅太后欲以衮冕謁太廟諌疏交上宰臣執議俱不之聴公關右人語氣明直不文其談獨于簾外口奏曰陛下大謁之日還作漢兒拜耶女兒拜耶明肅無答是夕報罷
新字:明粛太后欲以衮冕謁太廟諌疏交上宰臣執議倶不之聴公関右人語気明直不文其談独于簾外口奏曰陛下大謁之日還作漢児拝耶女児拝耶明粛無答是夕報罷
書き下し
明肅太后、衮冕を以て太廟に謁せんと欲す。諌疏交々上る。宰臣、議を執る。俱に之を聴かず。公は關右の人なり。語氣明直にして文らず。其の談、獨り簾外に於て口ずから奏して曰く、陛下、大謁の日、還た漢兒の拜を作すか、女兒の拜を作すかと。明肅答うる無し。是の夕、報じて罷む。
現代語訳
章献太后が、天子の礼服と冠をつけて太廟に参拝しようとした。諫めの上奏が次々に上がった。宰相たちも議を主張した。どれも聴き入れられなかった。公は関右の人であった。言葉つきが明快で率直で、飾らなかった。その話は、ただ一人簾の外で口頭で奏上したものである。「陛下は大参拝の日に、男の拝礼をなさるのですか、それとも女の拝礼をなさるのですか」。太后は答えられなかった。その夕方、取りやめると通知が来た。
解説
上奏がいくら上がっても動かなかった話を、一問で止めた条です。**陛下は大参拝の日に、男の拝礼をなさるのですか、それとも女の拝礼をなさるのですか。**天子の礼服を着るなら男の拝礼、太后として立つなら女の拝礼。どちらを選んでも矛盾が出ます。太后は答えられませんでした。是非を論じるのではなく、**実際にその場で何をするのかを一つだけ聞いた。**それでその日の夕方に取りやめになっています。
この章句が説くこと
陛下大謁の日還た漢児の拝を作すか女児の拝を作すか諌疏交々上る宰臣議を執る倶に之を聴かず明粛答うる無し是の夕報じて罷む一問実務諫言
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