宋名臣言行録 / 前集巻七・范仲淹
公語諸子弟曰吾吴中宗族甚衆於吾固有親疎然吾祖宗視之則均是子孫吾安得不恤其饑寒哉且自祖宗来積徳百餘年而始發於吾若獨享富貴而不恤宗族異日何以見祖宗於地下今亦何顔以入家廟乎
新字:公語諸子弟曰吾吴中宗族甚衆於吾固有親疎然吾祖宗視之則均是子孫吾安得不恤其饑寒哉且自祖宗来積徳百余年而始発於吾若独享富貴而不恤宗族異日何以見祖宗於地下今亦何顔以入家廟乎
書き下し
公、諸子弟に語りて曰く、吾が吴中の宗族、甚だ衆し。吾に於て固より親疎有り。然れども吾が祖宗より之を視れば、則ち均しく是れ子孫なり。吾れ安んぞ其の饑寒を恤れまざるを得んや。且つ祖宗より来、徳を積むこと百餘年にして、始めて吾に發す。若し獨り富貴を享けて宗族を恤れまずんば、異日、何を以て祖宗に地下に見えん。今も亦た何の顔ありて以て家廟に入らんやと。
現代語訳
公は子弟たちに言った。「私の呉中の一族は、たいそう多い。私にとってはもとより親しい者と疎い者がある。しかし私の祖先から見れば、みな等しく子孫である。私がどうしてその飢えと寒さを憐れまずにいられようか。そのうえ祖先以来、徳を積むこと百余年で、はじめて私に現れた。もし自分だけが富貴を享けて一族を憐れまなければ、いつか何によって祖先に地下でお目にかかれるのか。いまもまた、どの顔があって家廟に入れるのか」。
解説
一族を養う理由を、二つの角度から説いた条です。一つ目が視点の移し替えでした。**私にとっては親疎がある。しかし私の祖先から見れば、みな等しく子孫である。**二つ目が時間です。**祖先以来、徳を積むこと百余年で、はじめて私に現れた。**いまの富貴は自分一代の手柄ではない、と。次の条の「義荘」は、この考えから作られています。
この章句が説くこと
吾が祖宗より之を視れば則ち均しく是れ子孫なり祖宗より来徳を積むこと百余年にして始めて吾に発す若し独り富貴を享けて宗族を恤れまずんば異日何を以て祖宗に地下に見えん一族視点蓄積
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