宋名臣言行録 / 前集巻六・吕夷簡
公薨于鄭訃聞上震悼對執政語及公輙涕下曰安得憂公忘身理萬事幹四鄙如吕夷簡者
新字:公薨于鄭訃聞上震悼対執政語及公輙涕下曰安得憂公忘身理万事幹四鄙如呂夷簡者
書き下し
公、鄭に薨ず。訃聞す。上震悼す。執政に對して語、公に及べば輙ち涕下りて曰く、安くんぞ憂公忘身、萬事を理め四鄙を幹すること吕夷簡の如き者を得んと。
現代語訳
公は鄭州で亡くなった。訃報が届いた。帝は震え悲しんだ。執政に向かって話が公に及ぶと、そのたび涙を落として言った。「どこで、公事を憂えて我が身を忘れ、あらゆる事を治め四方の辺境を捌くことが呂夷簡のようである者を得られようか」。
解説
三十六字の弔辞です。帝が挙げたのは三つでした。**公事を憂えて我が身を忘れ、あらゆる事を治め、四方の辺境を捌く。**徳でも人柄でもありません。処理の量と範囲です。前の条までに読んだとおり、この人には権謀の記録も並んでいます。それでも、代わりがいないという一点で惜しまれました。**こういう者を、どこで得られようか。**
この章句が説くこと
安くんぞ憂公忘身万事を理め四鄙を幹すること呂夷簡の如き者を得ん公鄭に薨ず訃聞す上震悼す執政に対して語公に及べば輙ち涕下る弔辞代替処理
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