宋名臣言行録 / 後集巻五・范鎮
葢二公用舍大節皆不謀而同如仁宗時論立皇嗣英宗時論濮王稱號神宗時論新法其言若出一人相先後如左右手故君實嘗謂人曰吾與景仁兄弟也但姓不同耳然至於論鐘律則反復相非終身不能相一君子是以知二公非茍同者
新字:葢二公用舎大節皆不謀而同如仁宗時論立皇嗣英宗時論濮王称号神宗時論新法其言若出一人相先後如左右手故君実嘗謂人曰吾与景仁兄弟也但姓不同耳然至於論鐘律則反復相非終身不能相一君子是以知二公非茍同者
書き下し
蓋し二公の用舍の大節は皆謀らずして同じ。仁宗の時に皇嗣を立つるを論じ、英宗の時に濮王の稱號を論じ、神宗の時に新法を論ずるが如き、其の言は一人より出づるが若く、相い先後すること左右の手の如し。故に君實嘗て人に謂いて曰く、吾と景仁とは兄弟なり。但だ姓の同じからざるのみと。然れども鐘律を論ずるに至りては、反復して相い非とし、終身相い一にする能わず。君子是を以て二公の苟同に非ざるを知る。
現代語訳
思うに二人の、用いられるか退くかという大きな節目は、みな示し合わせずして同じであった。仁宗の時に皇嗣を立てることを論じ、英宗の時に濮王の称号を論じ、神宗の時に新法を論じた。そのいずれも、言葉が一人の口から出たかのようで、先になり後になることは左右の手のようであった。だから司馬光はかつて人に言った。「私と景仁とは兄弟である。ただ姓が違うだけだ」。それでいて鐘律を論ずるに至っては、繰り返し互いを非として、生涯ついに一致することができなかった。君子はこれによって、二人がなあなあで合わせていたのではないことを知る。
解説
三代にわたる大きな争点で、示し合わせずに同じ側に立ちました。**言葉が一人の口から出たかのようで、先になり後になることは左右の手のようであった。**ここまでなら、ただ仲が良かった話です。締めの一段が、この条を別物にしています。**鐘律を論ずるに至っては、繰り返し互いを非として、生涯ついに一致することができなかった。**合わないところが一つ残っていた。だからこそ、合っていたところが本物だと分かる。**二人がなあなあで合わせていたのではないことを知る。**
この章句が説くこと
二公の用舎の大節は皆謀らずして同じ其の言は一人より出づるが若く相い先後すること左右の手の如し吾と景仁とは兄弟なり但だ姓の同じからざるのみ然れども鐘律を論ずるに至りては反復して相い非とし終身相い一にする能わず一致相違
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