宋名臣言行録 / 後集巻二・富弼
至和二年召拜集賢相與文彦博並命宣制之日士夫相慶於朝仁宗密覘得知之謂侍臣歐陽修曰古之求相者或得之夢卜今朕用二相人情如此豈不賢於夢卜也哉修頓首稱賀
新字:至和二年召拝集賢相与文彦博並命宣制之日士夫相慶於朝仁宗密覘得知之謂侍臣欧陽修曰古之求相者或得之夢卜今朕用二相人情如此豈不賢於夢卜也哉修頓首称賀
書き下し
至和二年、召されて集賢相を拜す。文彦博と並び命ぜらる。制を宣するの日、士夫朝に相い慶す。仁宗密かに覘いて之を知り、侍臣歐陽修に謂いて曰く、古の相を求むる者は、或いは之を夢卜に得たり。今朕二相を用いて人情此くの如し。豈に夢卜に賢らずや。修頓首して賀を稱す。
現代語訳
至和二年(一〇五五)、召されて集賢殿大学士の宰相を拝命した。文彦博と並んで任じられた。詔を宣した日、士大夫たちは朝廷で互いに祝い合った。仁宗はひそかにその様子をうかがって知り、侍臣の欧陽脩に言った。「古の宰相を求める者は、夢や占いによってそれを得たという。いま朕が二人の宰相を用いて、人々の気持ちがこのとおりである。これがどうして夢や占いにまさらないだろうか」。欧陽脩は頭を下げて祝いを申し上げた。
解説
任命が正しかったかどうかを、天子は自分の判断で確かめていません。人の顔で確かめました。**詔を宣した日、士大夫たちは朝廷で互いに祝い合った。****仁宗はひそかにその様子をうかがって知った。**発表を出したあと、こっそり反応を見に行っている。そして古のやり方と比べました。**古の宰相を求める者は、夢や占いによってそれを得たという。いま朕が二人の宰相を用いて、人々の気持ちがこのとおりである。**神意を問うより、人が喜ぶかどうかのほうが確かな証拠だ、と言っています。
この章句が説くこと
制を宣するの日士夫朝に相い慶す仁宗密かに覘いて之を知る古の相を求むる者は或いは之を夢卜に得たり今朕二相を用いて人情此くの如し豈に夢卜に賢らずや人事人望
関連する章句
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