宋名臣言行録 / 後集巻十三・范祖禹
嘗采集帝王學問及祖宗講讀故事為帝學八巻上之秘書監王欽臣奏差真靖大師陳景元校黃本道書公封還之以謂諸子百家神仙道釋葢以備篇籍異聞以示藏書之富本非有益於治道不必使方外之士讎校以崇長異學也昔王安石使其門僧智緣隨王韶誘説木征時人謂之安撫太師今乃有校書道士人必謂之編校太師矣事雖至微實損國體遂罷其命
新字:嘗采集帝王学問及祖宗講読故事為帝学八巻上之秘書監王欽臣奏差真靖大師陳景元校黄本道書公封還之以謂諸子百家神仙道釈葢以備篇籍異聞以示蔵書之富本非有益於治道不必使方外之士讎校以崇長異学也昔王安石使其門僧智縁随王韶誘説木征時人謂之安撫太師今乃有校書道士人必謂之編校太師矣事雖至微実損国体遂罷其命
書き下し
嘗て帝王の學問及び祖宗講讀の故事を采集して帝學八巻と爲し、之を上る。秘書監王欽臣奏して、真靖大師陳景元を差して黃本の道書を校せしむ。公之を封還す。以謂えらく、諸子百家・神仙道釋は、蓋し以て篇籍異聞を備え、以て藏書の富を示す。本より治道に益有るに非ず。必ずしも方外の士をして讎校せしめ、以て異學を崇長せしめざるなり。昔王安石、其の門僧智緣をして王韶に隨いて木征を誘説せしむ。時人之を安撫太師と謂う。今乃ち校書の道士有らば、人必ず之を編校太師と謂わん。事微に至ると雖も、實に國體を損ず、と。遂に其の命を罷む。
現代語訳
范祖禹はかつて帝王の学問と、祖宗が講義を受けた先例を集めて『帝学』八巻とし、これを上呈した。秘書監の王欽臣が奏上して、真靖大師の陳景元を差し向け、黄表紙の道教の書物を校訂させようとした。范祖禹はこれを封じて突き返した。その考えはこうである。諸子百家や神仙・道教・仏教の書は、多様な篇籍や珍しい見聞をそろえ、蔵書の豊かさを示すためのものである。もともと治世の道に益があるわけではない。わざわざ世外の士に校訂させて、異学を持ち上げ育てるには及ばない。昔、王安石は自分の門下の僧である智縁を、王韶に従わせて木征を説得させた。当時の人はこれを「安撫太師」と呼んだ。いま校書をする道士がいれば、人は必ずこれを「編校太師」と呼ぶだろう。事はごく小さいとはいえ、実に国のかたちを損なう、と。そこでその命令は取り消された。
解説
この章句が説くこと
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