宋名臣言行録 / 後集巻十二・劉安世
紹聖末蔡確子謂受㫖於翰林學士蔡京且迎合大臣乃上書引及甫為證訟劉丞相等誣䧟其父謀危社稷朝廷駭之委京究問置獄於同文館遂逮及甫就吏
新字:紹聖末蔡確子謂受旨於翰林学士蔡京且迎合大臣乃上書引及甫為證訟劉丞相等誣䧟其父謀危社稷朝廷駭之委京究問置獄於同文館遂逮及甫就吏
書き下し
紹聖の末、蔡確の子謂、旨を翰林學士蔡京に受け、且つ大臣に迎合し、乃ち書を上りて及甫を引きて證と爲し、劉丞相等が其の父を誣陷して社稷を危うくせんと謀りしと訟う。朝廷之に駭く。京に委ねて究問せしめ、獄を同文館に置く。遂に及甫を逮えて吏に就かしむ。
現代語訳
紹聖の末、蔡確の子である蔡謂が、翰林学士の蔡京から指図を受け、そのうえ大臣に迎合して、書を上って文及甫を証人に引き、宰相の劉摯らが自分の父を陥れ、国家を危うくしようと謀ったと訴え出た。朝廷はこれに驚いた。蔡京に委ねて取り調べさせ、獄を同文館に置いた。そして文及甫を逮捕して吏の手にゆだねた。
解説
私信が、訴状の証拠になりました。しかも訴えの筋道が二重です。**翰林学士の蔡京から指図を受け、そのうえ大臣に迎合して。**告発した本人の意思というより、上から降りてきて、上に合わせています。訴えの中身は父の名誉回復の形を取りました。**自分の父を陥れ、国家を危うくしようと謀った。**個人の恨みが、国家への謀反という枠に載せ替えられています。そして取り調べは、指図した当人に委ねられました。**蔡京に委ねて取り調べさせ。**
この章句が説くこと
紹聖の末蔡確の子謂旨を翰林学士蔡京に受け且つ大臣に迎合す書を上りて及甫を引きて證と為す劉丞相等が其の父を誣陥して社稷を危うくせんと謀りしと訟う京に委ねて究問せしめ獄を同文館に置く告発私信
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