宋名臣言行録 / 後集巻七・司馬光
英宗疾既平皇太后還政公上疏言治身莫先於孝治國莫先於公其言切至皆母子間人所難言者
新字:英宗疾既平皇太后還政公上疏言治身莫先於孝治国莫先於公其言切至皆母子間人所難言者
書き下し
英宗の疾既に平らぎ、皇太后政を還す。公上疏して言う、身を治むるは孝より先なるは莫く、國を治むるは公より先なるは莫しと。其の言切至、皆母子の間の人の言い難き所の者なり。
現代語訳
英宗の病がすでに癒え、皇太后は政を返した。司馬光は上疏して言った。「身を治めるには孝より先にするものはなく、国を治めるには公より先にするものはない」。その言葉は切実に行き届き、どれも母子のあいだで人が口にしにくいところのものであった。
解説
三十九字です。母が政を返した直後という時機が、この一句をきわどくしています。**身を治めるには孝より先にするものはなく、国を治めるには公より先にするものはない。**天子には母への孝を、太后には政の公を求めている。両方に一言ずつ、しかも同じ形で並べました。前の巻で見た濮議の火種が、この母子のあいだにあります。**どれも母子のあいだで人が口にしにくいところのものであった。**
この章句が説くこと
英宗の疾既に平らぎ皇太后政を還す身を治むるは孝より先なるは莫し国を治むるは公より先なるは莫し其の言切至皆母子の間の人の言い難き所の者なり孝公
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