宋名臣言行録 / 後集巻九・曾鞏
中間從外徙世頗謂偃蹇不偶一時後生輩蜂出先生泊如也晚還朝廷天下望用其學而屬新官制遂掌書命於是更置百官舊舍人無在者已試即入院方除目填委占紙肆書初若不經意午漏盡授草院吏上馬去凡除郎御史數十人所以本法意原職守而為之訓敕者人人不同咸有新趣而衍裕雅重自成一家余其時為尚書郎掌付制吏部一日得盡觀始知先生之學雖老不衰而大手筆自有人也嗚乎先生用未極其學已矣要之名與天壤相弊不可誣也
新字:中間従外徙世頗謂偃蹇不偶一時後生輩蜂出先生泊如也晩還朝廷天下望用其学而属新官制遂掌書命於是更置百官旧舎人無在者已試即入院方除目填委占紙肆書初若不経意午漏尽授草院吏上馬去凡除郎御史数十人所以本法意原職守而為之訓勅者人人不同咸有新趣而衍裕雅重自成一家余其時為尚書郎掌付制吏部一日得尽観始知先生之学雖老不衰而大手筆自有人也嗚乎先生用未極其学已矣要之名与天壤相弊不可誣也
書き下し
中間外に從いて徙り、世頗る偃蹇不偶と謂う。一時の後生の輩蜂のごとく出づるも、先生泊如たり。晩に朝廷に還り、天下其の學を用いんことを望む。而して新官制に屬し、遂に書命を掌る。是に於いて百官を更置す。舊舍人の在る者無し。已に試みて即ち院に入る。方に除目の填委するに、紙を占めて肆書す。初め經意せざるが若し。午漏盡きて草を院吏に授け、馬に上りて去る。凡そ除する郎・御史數十人、法意に本づき職守に原ねて之が訓敕を爲す所以の者は人人同じからず。咸ミ新趣有りて衍裕雅重、自ら一家を成す。余其の時尚書郎と爲り、制を吏部に付するを掌る。一日盡く觀るを得て、始めて先生の學は老ゆと雖も衰えず、而して大手筆は自ら人有るを知るなり。嗚呼、先生の用いらるるは未だ其の學を極めず。已んぬるかな。要するに名は天壌と相い弊きて誣う可からざるなり。
現代語訳
その間、地方に移り、世間はずいぶん不遇で時に合わないと言った。同じころの後進たちは蜂のように次々と出たが、先生は淡々としていた。晩年に朝廷へ戻り、天下はその学が用いられることを望んだ。ところがちょうど新しい官制にあたり、そのまま詔書を司ることになった。そこで百官が置き換えられた。以前からの舎人で残っている者はいなかった。試みを経てすぐ院に入った。ちょうど任命の書類が山と積まれるなか、紙を広げて書き流した。はじめは気にも留めていないように見えた。正午の漏刻が尽きると草稿を院の吏に渡し、馬に乗って帰った。任じられた郎や御史は数十人に及ぶが、法の趣旨に基づき職掌にさかのぼって戒めの言葉としたものは、一人一人みな違っていた。どれも新しい味わいがあり、ゆったりとして重厚で、自ら一家をなしていた。私はその時、尚書郎として制を吏部に回す役であった。ある日それをすべて見ることができ、はじめて先生の学は老いても衰えず、大手筆というものはやはりいるのだと知った。ああ、先生が用いられたのは、その学を極めきるところまで至らなかった。それまでだ。要するに、名は天地とともに尽きるまで残り、偽ることはできない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『宋名臣言行録』後集巻九・曾鞏天子公の賢を察し公を用いんと欲す。一日内より手詔を中書門下に出だして曰く、曾鞏は史學を以て稱せらる。宜しく五朝の史事を典るべしと。遂に公を以て脩撰と爲す。近世國史を修むるは必ず衆く文學の士を選び大臣を以て監總す。未だ五朝の大典を獨り一人に付する公の如き者有らず。公夙夜討論し未だ稿を屬するに及ばず、㑹ミ官名を正して中書舍人に擢んでらる。入謝を俟たず諭して職に就かしむ。時に三省より百執事に至るまで選授一新す。除吏日に數十人に至る。人に其の職事を舉げて以て戒め、辭は約にして義盡く。論者は三代の風有りと謂う。上も亦た數ミ其の典雅を稱す。
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『宋名臣言行録』後集巻九・曾鞏中書舍人王震公の文に序して曰く、先生文章を以て天下に名あること久し。異時齒髮壯んに志氣鋭く、其の文章の標鷙奔放、雄渾瓌偉なること、三軍の朝氣、猛獸の抉怒、江湖の波濤、烟雲の姿狀の若し。一に何ぞ竒なるや。是の時に方り、先生の自負は要するに劉向に似んとし、韓愈の何如たるを知らざるのみ。
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『宋名臣言行録』後集巻九・曾鞏初め太平州の司戸と爲る。守張伯玉は前輩の人なり。歐陽・荊公諸名士共に子固の文章を稱す。伯玉殊に顧みず。間に子固に語る、吾方に六經閣を作らんとす。其れ之が記を爲せと。子固凡そ稿を謄すること六七、終に伯玉の意に當たらず。則ち子固に謂いて曰く、吾自ら之を爲さんと。其れ紙に書して曰く、六經閣とは諸子百家皆焉に在るなり。經を尊ぶを書かざるなりと云云。子固始めて大いに畏服し、益ミ自ら學に勵む。
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『宋名臣言行録』後集巻十三・范祖禹初め公蘇公と約して皆な章を上りて論列せんとす。蘇公已に草を具う。公の章を見て、遂に名を附して同に奏す。因りて公に謂いて曰く、公の文は經世の文なり。軾は朝廷の文字に於いて過當に失す。公の言の皆な行う可きに若かざるなり、と。
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『宋名臣言行録』後集巻二・歐陽修大抵文學は身を潤すに止まり、政事は以て物に及ぶ可し。吾昔夷陵に貶せられ、史・漢を求めて一観せんと欲するも、公私に有る無し。以て日を遣る無し。因りて陳年の公案を取りて反覆之を観る。其の枉直乖錯の勝げて數う可からざるを見る。無を以て有と爲し、枉を以て直と爲し、法に違い情に徇い、親を滅ぼし義を害す、有らざる所無し。且つ夷陵の荒遠褊小なるを以てすら尚お此くの如し。天下は固より知る可きなり。當時天を仰ぎ心に誓いて曰く、爾より事に遇わば敢えて忽せにせずと。今に迨ぶまで三十餘年、中外に出入し、三事を忝塵す。此を以て自ら將う。今日、人を以て我を望まば、必ず翰墨の身を致すと爲さん。我を以て自ら觀れば、諒に是れ當時一言の報なり。
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『宋名臣言行録』前集巻五・王曽公嘗て言う、始めて大政に參ずるとき、故王太尉の國に當たるに屬す。毎に朝士を進用するに、必ず望實を先にす。或ひと曰く、某人は才あり、某人は賢なりと。則ち曰く、誠に此の人を知る。然れども歴官尚お淺し。且く望を養わしめ、歳乆しくして渝らずして後に擢任せば、則ち榮途坦然として、中外允に惬わんと。故に公、執政の日、是の言を遵行す。而して人皆な心服す。