宋名臣言行録 / 前集巻四・髙瓊
太祖與文臣言未嘗文談葢欲激厲將士此漢髙祖溺冠之意也至太宗好文方戰爭之時多作詩賦羣臣屬和故武事不競卒有潘美之敗及澶淵之役章聖既渡大河至浮橋一半瓊執御轡曰此處好喚宰相吟兩首詩也葢當時宰相王欽若陳堯叟輩好為詩賦以薄此輩故平日憾之而有此語
新字:太祖与文臣言未嘗文談葢欲激厲将士此漢高祖溺冠之意也至太宗好文方戦争之時多作詩賦羣臣属和故武事不競卒有潘美之敗及澶淵之役章聖既渡大河至浮橋一半瓊執御轡曰此処好喚宰相吟両首詩也葢当時宰相王欽若陳堯叟輩好為詩賦以薄此輩故平日憾之而有此語
書き下し
太祖、文臣と言うに、未だ嘗て文談せず。葢し將士を激厲せんと欲すればなり。此れ漢の髙祖の冠に溺するの意なり。太宗の文を好むに至りては、方に戰爭の時、多く詩賦を作り、羣臣屬和す。故に武事競わず、卒に潘美の敗有り。澶淵の役に及び、章聖既に大河を渡り、浮橋に至ること一半。瓊、御轡を執りて曰く、此の處、好し。宰相を喚びて兩首の詩を吟ぜしむべしと。葢し當時の宰相王欽若・陳堯叟の輩、好んで詩賦を為す。此の輩を薄んずるを以ての故に、平日之を憾む。而して此の語有り。
現代語訳
太祖は文臣と話すとき、文学の話をしなかった。将兵を励まそうとしたからである。これは漢の高祖が儒者の冠に小便をした心と同じである。太宗が文を好むに至っては、まさに戦争のさなかに詩や賦をたくさん作り、群臣が唱和した。だから武事が振るわず、ついに潘美の敗北があった。澶淵の役のとき、真宗が大河を渡って浮橋の半ばまで来た。高瓊は手綱を取って言った。「この場所はよろしい。宰相を呼んで詩を二首、吟じさせましょう」。当時の宰相の王欽若・陳堯叟らは詩や賦を作るのを好んでいた。高瓊はこの連中を見下していたので、日ごろから恨んでいた。それでこの言葉が出たのである。
解説
浮橋の半ばで、手綱を取ってこう言った条です。**この場所はよろしい、宰相を呼んで詩を二首、吟じさせましょう。**皮肉です。矢が飛んでくる橋の上で、詩の得意な宰相たちに出番をやろうというのですから。前置きに、太祖は文臣と文学の話をしなかった、太宗が戦のさなかに詩を作らせたから武事が振るわなかった、と置いてあります。恨みの中身まで説明したうえで、この一言を残しました。
この章句が説くこと
此の処好し宰相を喚びて両首の詩を吟ぜしむべし太祖文臣と言うに未だ嘗て文談せず葢し将士を激厲せんと欲す故に武事競わず卒に潘美の敗有り皮肉文武場面
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