宋名臣言行録 / 前集巻二・錢若水
公嘗率衆過河號令軍伍分布行列悉有規節深為戍將所服上知之謂左右朕嘗見儒人談兵不過講之于尊俎硯席之間于文字則引孫吳述形勢皆閒暇清論可也責之于用罕有成效今若水亦儒人曉武深可嘉也時言者請城綏州積兵禦党項詔公自魏乘疾傳往按至則乞罷其役時論韙之
新字:公嘗率衆過河号令軍伍分布行列悉有規節深為戍将所服上知之謂左右朕嘗見儒人談兵不過講之于尊俎硯席之間于文字則引孫吳述形勢皆閒暇清論可也責之于用罕有成効今若水亦儒人暁武深可嘉也時言者請城綏州積兵禦党項詔公自魏乗疾伝往按至則乞罷其役時論韙之
書き下し
公嘗て衆を率いて河を過ぐ。軍伍に號令し、行列を分布して悉く規節有り。深く戍將の服する所と為る。上之を知り、左右に謂う、朕嘗て儒人の兵を談ずるを見るに、之を尊俎硯席の間に講ずるに過ぎず。文字に於ては則ち孫吳を引き形勢を述ぶ。皆な閒暇の清論として可なり。之を用に責むれば、成效有ること罕なり。今、若水も亦た儒人にして武を曉る。深く嘉す可きなりと。時に言者、綏州に城き兵を積みて党項を禦がんことを請う。詔して公をして魏より疾傳に乘じて往きて按ぜしむ。至れば則ち其の役を罷めんことを乞う。時論之を韙とす。
現代語訳
公はかつて軍勢を率いて黄河を渡った。部隊に号令し、隊列を配置してすべてに規律があった。守備の将たちが深く心服した。太宗はそれを知って側近に言った。「私はこれまで儒者が兵を語るのを見てきたが、酒席や机の上で講じるにすぎなかった。文章の上では孫子や呉子を引いて形勢を述べる。閑暇の清談としてはそれでよい。しかし実際の用に当てて責めれば、成果の出ることはまれだ。いま銭若水も儒者でありながら武を心得ている。深く褒めるに値する」。当時、意見を述べる者が、綏州に城を築き兵を集めて党項を防ぐよう願い出た。詔が下って、公は魏から早馬を乗り継いで行き、現地を検分した。到着すると、その工事を中止するよう願い出た。当時の議論はこれを正しいとした。
解説
儒者が兵を語ることへの、当時の目が出た条です。太宗の言い方が辛い。**酒席や机の上で講じるだけで、実際の用に当てて責めれば成果が出ることはまれだ。**そのうえで、銭若水は儒者でありながら武を心得ていると褒めました。面白いのは後半で、城を築く案を検分しに行った彼が、着くなり中止を願い出ていることです。実際に見て「やらない」と言えることも、武を心得ているうちに入っています。
この章句が説くこと
之を尊俎硯席の間に講ずるに過ぎず之を用に責むれば成効有ること罕なり至れば則ち其の役を罷めんことを乞う実務現地中止
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