宋名臣言行録 / 後集巻八・吕公著
公居家夏不排窻不揮扇冬不附火一日盛夏楊大夫瓌寳字器之將赴鎮戎軍倅來辭器之乃吕氏甥公於西牕下烈日中公裳對飲二盃器之汗流浹背公凝然不動
新字:公居家夏不排窻不揮扇冬不附火一日盛夏楊大夫瓌寳字器之将赴鎮戎軍倅来辞器之乃呂氏甥公於西牕下烈日中公裳対飲二盃器之汗流浹背公凝然不動
書き下し
公家に居り、夏は窻を排かず扇を揮わず、冬は火に附かず。一日盛夏、楊大夫瓌寶、字は器之、將に鎮戎軍の倅に赴かんとして來り辭す。器之は乃ち呂氏の甥なり。公西窻の下、烈日の中、公裳して對飲すること二盃。器之汗流れて背を浹す。公凝然として動かず。
現代語訳
公は家にいて、夏は窓を開けず扇を使わず、冬は火に当たらなかった。ある日の盛夏、楊大夫の瓌宝、字は器之が、鎮戎軍の副官に赴任しようとして挨拶に来た。器之は呂氏の甥である。公は西の窓の下、強い日差しの中で、正装して向かい合い、二杯の酒を酌み交わした。器之は汗が流れて背を濡らした。公は凝然として動かなかった。
解説
同じ場に二人いて、片方だけが汗をかいています。**器之は汗が流れて背を濡らした。公は凝然として動かなかった。**特別なことをした日ではありません。ふだんからそうしていたと最初に書かれています。**夏は窓を開けず扇を使わず、冬は火に当たらなかった。**暑さ寒さに耐えたのではなく、暑さ寒さで自分の動きを変えないようにしていた。西の窓の下、強い日差しの中、という細部が効いています。避けようと思えば避けられました。
この章句が説くこと
公家に居り夏は窻を排かず扇を揮わず冬は火に附かず一日盛夏楊大夫瓌宝字は器之来り辞す公西窻の下烈日の中公裳して対飲すること二盃器之汗流れて背を浹す公凝然として動かず克己暑さ
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