宋名臣言行録 / 後集巻六・王安石
公平生養得氣完為他不好做官職作宰相只喫魚羹飯得受用底不受用縁省便去就自在嘗上殿進一劄子擬除人神宗不允對曰阿除不得又進一劄子擬除人神宗亦不允又曰阿也除不得下殿出來便乞去更留不住平生不屈也竒特
新字:公平生養得気完為他不好做官職作宰相只喫魚羹飯得受用底不受用縁省便去就自在嘗上殿進一劄子擬除人神宗不允対曰阿除不得又進一劄子擬除人神宗亦不允又曰阿也除不得下殿出来便乞去更留不住平生不屈也奇特
書き下し
公平生氣を養い得て完し。他の官職を做すを好まざるが爲なり。宰相と作りて只だ魚羹飯を喫らう。受用するを得る底も受用せず。省便に縁りて去就自在なり。嘗て殿に上り一劄子を進めて人を除するを擬す。神宗允さず。對えて曰く、阿、除し得ずと。又た一劄子を進めて人を除するを擬す。神宗も亦た允さず。又た曰く、阿、也た除し得ずと。殿を下り出で來りて便ち去るを乞う。更に留むるも住まらず。平生屈せざるも亦た奇特なり。
現代語訳
王安石は生涯、気を養って欠けるところがなかった。それは官職を務めることを好まなかったからである。宰相となっても、ただ魚の汁と飯を食べるだけであった。受け取れるはずのものも受け取らなかった。簡素であるがゆえに、進退が自在であった。かつて殿に上がって書付を一通差し出し、人を任じることを提案した。神宗は認めなかった。答えて言った。「ああ、任じられませんか」。またもう一通差し出して、人を任じることを提案した。神宗もまた認めなかった。また言った。「ああ、これも任じられませんか」。殿を下りて出て来ると、すぐさま辞去を願い出た。引き止めても留まらなかった。生涯屈しなかったのも、また並外れている。
解説
進退の自在さが、暮らしの簡素さから来ている、という説明です。**宰相となっても、ただ魚の汁と飯を食べるだけであった。受け取れるはずのものも受け取らなかった。簡素であるがゆえに、進退が自在であった。**失うものがないので、いつでも辞められる。その実例が続きます。**書付を一通差し出し、人を任じることを提案した。認めなかった。****またもう一通差し出した。またしても認めなかった。****殿を下りて出て来ると、すぐさま辞去を願い出た。**二度断られただけです。
この章句が説くこと
公平生気を養い得て完し他の官職を做すを好まざるが為なり宰相と作りて只だ魚羹飯を喫らう受用するを得る底も受用せず省便に縁りて去就自在なり殿を下り出で来りて便ち去るを乞う更に留むるも住まらず質素自在
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