宋名臣言行録 / 前集巻六・宋庠
元昊反劉平石元孫皆以輕失軍時諸帥官重者互領陜西四路號令頗不一又兵多分屯堡障公言宜使大帥收重兵内地他帥自當一道緩急有警則分兵四出以援之其議乆不決後卒如公計
新字:元昊反劉平石元孫皆以軽失軍時諸帥官重者互領陜西四路号令頗不一又兵多分屯堡障公言宜使大帥収重兵内地他帥自当一道緩急有警則分兵四出以援之其議乆不決後卒如公計
書き下し
元昊反す。劉平・石元孫、皆な輕きを以て軍を失う。時に諸帥の官の重き者、互いに陜西四路を領す。號令頗る一ならず。又た兵多く堡障に分屯す。公言う、宜しく大帥をして重兵を内地に收めしめ、他帥は自ら一道に當たり、緩急、警有らば則ち兵を分かちて四出して以て之を援くべしと。其の議乆しく決せず。後、卒に公の計の如し。
現代語訳
趙元昊が叛いた。劉平・石元孫は、どちらも軽率に動いて軍を失った。当時、諸将で官位の重い者が、互いに陝西の四路を分けて統べていた。号令はまったく一つになっていなかった。そのうえ兵の多くが砦に分かれて駐屯していた。公は言った。「大帥に主力の兵を内地にまとめさせ、他の将はそれぞれ一つの道を受け持ち、急を告げる報せがあれば兵を分けて四方に出して援けるべきです」。その議は長らく決まらなかった。後に、けっきょく公の計のとおりになった。
解説
指揮系統がばらばらで、兵も砦に分散していた条です。案は二段でした。**大帥に主力の兵を内地にまとめさせ、他の将はそれぞれ一つの道を受け持つ。**そのうえで**急があれば兵を分けて四方に出して援ける。**平時は集めておいて、事が起きてから分ける、という順序です。分けたまま置くと、どこも足りません。議は長く決まらず、後にそのとおりになりました。
この章句が説くこと
号令頗る一ならず又た兵多く堡障に分屯す大帥をして重兵を内地に収めしめ他帥は自ら一道に当たる緩急警有らば則ち兵を分かちて四出して以て之を援くべし集中分散指揮
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