宋名臣言行録 / 後集巻三・文彦博
慶州軍亂二府入議公曰朝廷施為務合人心以静重為先不宜偏聴陛下即位以來厲精求治而人情未安者更張之過耳祖宗法未必不可行但有廢墜不舉之處耳王荆公曰所以為此將以去民之害何為不可若萬事隳頺如西晉風兹乃益亂也蓋荆公知公言為巳發故力排之
新字:慶州軍乱二府入議公曰朝廷施為務合人心以静重為先不宜偏聴陛下即位以来厲精求治而人情未安者更張之過耳祖宗法未必不可行但有廃墜不舉之処耳王荆公曰所以為此将以去民之害何為不可若万事隳頺如西晋風茲乃益乱也蓋荆公知公言為巳発故力排之
書き下し
慶州の軍亂る。二府入りて議す。公曰く、朝廷の施爲は人心に合するに務め、静重を先と爲す。宜しく偏聽すべからず。陛下即位以來、精を厲まして治を求む。而して人情の未だ安からざる者は、更張の過ぎたるのみ。祖宗の法は未だ必ずしも行う可からずとせず。但だ廢墜して舉がらざる處有るのみと。王荊公曰く、此を爲す所以は將に以て民の害を去らんとするなり。何ぞ不可と爲さん。若し萬事隳頽して西晉の風の如くんば、茲れ乃ち益ミ亂るるなりと。蓋し荊公は公の言の己の爲に發するを知る。故に力めて之を排す。
現代語訳
慶州の軍が乱れた。中書と枢密が集まって議した。文彦博は言った。「朝廷の施策は人の心に合うことに努め、静かで重々しいことを先とすべきです。一方だけを聴いてはなりません。陛下は即位以来、心を励まして治めを求めておられます。それでも人情が安まらないのは、改め変えることが過ぎたからにすぎません。祖宗の法は、必ずしも行えないというものではありません。ただ、すたれて実行されていないところがあるだけです」。王安石は言った。「これを行う理由は、民の害を除こうとしてのことです。どうしていけないのですか。もし万事が崩れ落ちて西晋の風のようになれば、それこそますます乱れます」。思うに王安石は、この言葉が自分に向けられたものだと分かっていた。だから力を尽くしてこれを退けたのである。
解説
この章句が説くこと
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『新論』國體上夫れ英雄の天下を鼓舞するや、唯民の動かざるを恐れ、庸人の一時を糊塗するや、唯民の或は動くを恐る。故に務めて昇平を粉飾し、虜をして眼前に陸梁せしむるも、猶ほ称して漁商と為し、上下相蒙蔽して、適に以て寇を玩び禍を畜ふるに足る。而して高拱端睨し、糊塗して自ら智とし、将に相率ゐて自ら不測の淵に趣かんとす。亦憫むべきなり。苟くも稍心性智識を存する者は、誰か声を呑みて窃かに之を嘆ぜざらんや。今幕府断然として天下に明令し、虜を見れば必ず之を摧かしめ、公然として天下と之を同仇す。而して令布くこと一日、天下智愚と無く、臂を攘ひて令に趨かんと欲せざるは莫し。天下人心の磨滅すべからざること此くの如し。夫れ方今天下に封建の勢有る者は、固より太祖の治を制する所以なり。東照宮の忠孝を以て基を立つる者は、天祖の彝訓を垂るる所以なり。苟くも能く人心の磨滅すべからざる者に因りて、之が規制を立て、神聖の天下を経綸する所以の意に原づき、土地を経し人民を制し、君臣の義を正し、父子の親を敦くし、天下を範囲して、以て一身と為さば、豈甚だ為し難からんや。此れ乃ち千載の一時、必ず失ふべからざるの機なり。臣是を以て弊の宜しく革むべき者を審かにせんと欲して、時勢の変に眷眷たらざるを得ざるなり。
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『春秋左氏伝』昭公四年 苟も社稷を利せば九月、鄫を取る。易きを言ふなり。莒亂る。著丘公立ちて鄫を撫せず。鄫叛きて來る。故に取ると曰ふ。凡そ邑に克ちて、師徒を用ゐざるを取ると曰ふ。鄭の子產丘賦を作る。國人之を謗りて曰く、「其の父は路に死し、己は蠆尾(たいび)と為りて、以て國に令す。國將に之を若何せん」と。子寬以て告ぐ。子產曰く、「何ぞ害あらん。苟も社稷を利せば、死生之を以てせん。且つ吾聞く、善を為す者は其の度を改めず、故に能く濟すこと有りと。民は逞(ほしいまま)にすべからず、度は改むべからず。詩に曰く、『禮義愆(あやま)たずんば、何ぞ人の言を恤へん』と。吾遷らず」と。渾罕曰く、「國氏其れ先づ亡びんか。君子法を涼(うす)きに作るも、其の敝は猶ほ貪なり。法を貪に作らば、敝將に之を若何せん。姬の列に在る者、蔡及び曹・滕、其れ先づ亡びんか。偪(せま)りて禮無し。鄭は衛に先だちて亡びん。偪りて法無し。政法に率(したが)はずして、心に制す。民各心有り、何の上か之れ有らん」と。冬、吳楚を伐ちて、棘・櫟・麻に入る。以て朱方の役に報ゆるなり。楚の沈尹射夏汭に奔命す。咸尹宜咎鍾離に城き、薳啟疆巢に城き、然丹州來に城く。東國水あり、以て城くべからず。彭生賴の師を罷む。
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