宋名臣言行録 / 後集巻七・司馬光
上問近相陳升之外議云何光對陛下擢用宰相臣愚何敢與上曰第言之光曰閩人狡險楚人輕易今二相皆閩人二參政皆楚人必將援引鄉黨之士充塞朝廷天下風俗何以更得淳厚上曰然今中外大臣更無可用者獨升之有才智曉民政邉事他人莫及光曰升之才智誠如聖㫖但恐不能臨大節而不可奪爾昔漢髙祖論相以為王陵少戅陳平可以輔之平智有餘然難獨任真宗用丁謂王欽若亦以馬知節參之凡才智之士必得忠直之人從旁制之此明主用人之法也上曰然升之朕固已戒之矣
新字:上問近相陳升之外議云何光対陛下擢用宰相臣愚何敢与上曰第言之光曰閩人狡険楚人軽易今二相皆閩人二参政皆楚人必将援引郷党之士充塞朝廷天下風俗何以更得淳厚上曰然今中外大臣更無可用者独升之有才智暁民政邉事他人莫及光曰升之才智誠如聖旨但恐不能臨大節而不可奪爾昔漢高祖論相以為王陵少戅陳平可以輔之平智有余然難独任真宗用丁謂王欽若亦以馬知節参之凡才智之士必得忠直之人従旁制之此明主用人之法也上曰然升之朕固已戒之矣
書き下し
上問う、近ごろ陳升之を相とす。外議は云何と。光對う、陛下宰相を擢用す。臣愚なり。何ぞ敢えて與らんやと。上曰く、第だ之を言えと。光曰く、閩人は狡險、楚人は輕易なり。今二相は皆閩人、二參政は皆楚人なり。必ず將に鄉黨の士を援引して朝廷に充塞せんとす。天下の風俗、何を以て更に淳厚なるを得んやと。上曰く、然り。今中外の大臣に更に用う可き者無し。獨り升之のみ才智有り、民政邊事に曉らかなること他人及ぶ莫しと。光曰く、升之の才智は誠に聖旨の如し。但だ恐らくは大節に臨みて奪う可からざる能わざるのみ。昔漢の髙祖相を論じて以爲えらく、王陵は少しく戅なり、陳平以て之を輔く可し、平は智餘り有るも然れども獨り任じ難しと。眞宗丁謂・王欽若を用うるに、亦た馬知節を以て之に參ぜしむ。凡そ才智の士は必ず忠直の人を得て旁より之を制せしむ。此れ明主の人を用うるの法なりと。上曰く、然り。升之は朕固より已に之を戒めたりと。
現代語訳
天子は問うた。「近ごろ陳升之を宰相とした。外の議論はどうか」。司馬光は答えた。「陛下が宰相をお選びになるのに、臣は愚か者です。どうしてあずかりましょうか」。天子は言った。「ともかく言ってみよ」。司馬光は言った。「閩の人は狡くて険しく、楚の人は軽々しい。いま二人の宰相はどちらも閩の人、二人の参政はどちらも楚の人です。必ず同郷の士を引き上げて朝廷を埋め尽くすでしょう。天下の風俗が、どうしてさらに厚く淳くなりましょうか」。天子は言った。「そうか。しかしいま内外の大臣に、ほかに用いられる者がいない。ただ升之だけが才と智があり、民政と辺境の事に通じていることは、他の者の及ぶところではない」。司馬光は言った。「升之の才と智は、まことに仰せのとおりです。ただ恐れますのは、大きな節目に臨んで、その志を奪われずにいられないことです。昔、漢の高祖は宰相を論じて、王陵は少し愚直だから陳平がこれを輔けるとよい、陳平は智に余りがあるが独りで任せるのは難しい、としました。真宗は丁謂・王欽若を用いるにあたって、馬知節をこれに加えました。およそ才と智のある士には、必ず忠実で真っすぐな人を得て、傍らからこれを制させる。これが明君の人の用い方です」。天子は言った。「そうだな。升之には、朕はもとよりすでに戒めてある」。
解説
この章句が説くこと
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『呻吟語』内篇・談道・人事は就ち是れ天命人事は就ち是れ天命なり。
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『晏子春秋』諫上・景公愛嬖妾隨其所欲晏子諫翟王子羨景公に臣たり、重駕を以てす。公之を観て説ばず。嬖人嬰子之を観んと欲す。公曰く、「晏子の寝病するに及ばん」と。囿中の台上に居りて以て之を観る。嬰子之を説び、因りて之が為に請いて曰く、「厚く之に禄せよ」と。公許諾す。晏子病を起こして公に見ゆ。公曰く、「翟王子羨の駕、寡人甚だ之を説ぶ。請う之をして示さしめんか」と。晏子曰く、「駕御の事、臣は職として焉に無し」と。公曰く、「寡人一たび之を楽しみ、是れ之に禄するに万鐘を以てせんと欲す、其れ足るか」と。対えて曰く、「昔、衛士東野の駕するや、公之を説び、嬰子説ばず、公因りて説ばず、遂に観ず。今、翟王子羨の駕するや、公説ばず、嬰子説び、公因りて之を説ぶ。請を為し、公之を許す、則ち是れ婦人の制を為すなり。且つ人を治むるを楽しまず、馬を治むるを楽しみ、賢人に厚く禄せず、禦夫に厚く禄す。昔者、先君桓公の地は今より狭きに、法治を修め、政教を広め、以て諸侯に霸たり。今君は、一諸侯も能く親しむ無く、歳凶にして年饑え、道途の死者相い望む。君は此れを憂恥せず、惟だ耳目の楽しみを図り、先君の功烈を修めず、惟だ駕御の伎を飾る、則ち公の民を顧みずして国を忘るること甚だしきなり。
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『春秋左氏伝』僖公二十七年 蒍賈、賀さず二十七年春、杞の桓公來朝す。夷禮を用ゐる、故に「子」と曰ふ。公杞を卑しむ、杞共ならざればなり。夏、齊の孝公卒す。齊の怨み有れども、喪紀を廢せず、禮なり。秋、杞に入る、無禮を責むるなり。楚子將に宋を圍まんとし、子文をして兵を睽に治めしむ。終朝にして畢り、一人をも戮せず。子玉復た兵を蒍に治む。終日にして畢り、七人を鞭ち、三人の耳を貫く。國老皆子文を賀す、子文之に酒を飲ましむ。蒍賈尚ほ幼し、後れて至り、賀せず。子文之を問ふ。對へて曰く、「賀する所を知らず。子の政を子玉に傳ふるや、曰く、『以て國を靖んずるなり』と。諸を內に靖んじて諸を外に敗らば、獲る所幾何ぞ。子玉の敗るるは、子の舉なり。舉げて以て國を敗らば、將た何をか賀せん。子玉は剛にして無禮、以て民を治むべからず。三百乘を過ぎば、其れ以て入る能はざらん。苟も入りて賀すとも、何の後るることか之れ有らん」と。
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『韓非子』説疑第四十四従ひて之を罰す。是を以て賢良遂に進みて姦邪並びに退く、故に一挙して能く諸侯を服す。其の記に在りて曰く、堯に丹朱有り、而して舜に商均有り、啓に五観有り、商に太甲有り、武王に管・蔡有り。五王の誅する所の者は、皆父兄子弟の親なり、而して殺して其の身を亡ぼし、其の家を残破する所の者は何ぞや。其の国を害し民を傷つけ法類を敗るを以てなり。其の挙ぐる所を観れば、或いは山林藪沢巌穴の間に在り、或いは囹圄緤紲纏索の中に在り、或いは割烹芻牧飯牛の事に在り。然れども明主は其の卑賤を羞ぢざるなり、其の能の以て法を明らかにし、国を便にし民を利すべきを以て、従ひて之を挙げ、身安く名尊し。乱主は則ち然らず、
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『墨子』尚同中今、王公大人の刑政を為すは則ち此を舉ぐ。政、以て便辟を屬し、父兄故舊に宗りて、以て左右と為し、置きて以て正長と為す。民、上の正長を置くの、正しく以て民を治むるに非ざるを知る。是を以て皆な比周隠匿して、肯えて其の上に尚同すること莫し。是の故に上下、義を同じくせず。若し茍くも上下、義を同じくせざれば、賞譽も以て善を勸むるに足らずして、刑罰も以て暴を沮むるに足らず。
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