宋名臣言行録 / 前集巻四・冦凖
鄧州花蠟燭名著天下雖京師不能造相傳云是公燭法公嘗知鄧州而自少年富貴不㸃油燈尤好夜宴劇飲雖寢室亦燃燭達旦每罷官去後人至官舍見厠溷間燭淚成堆杜祁公為人清儉在官未嘗燃官燭油燈一炷熒然欲滅與客相對清談而已二公皆為名臣而奢儉不同如此然祁公夀考終吉萊公晚有南遷之禍雖其不幸亦可以為戒也
新字:鄧州花蠟燭名著天下雖京師不能造相伝云是公燭法公嘗知鄧州而自少年富貴不㸃油灯尤好夜宴劇飲雖寝室亦燃燭達旦毎罷官去後人至官舎見厠溷間燭涙成堆杜祁公為人清倹在官未嘗燃官燭油灯一炷熒然欲滅与客相対清談而已二公皆為名臣而奢倹不同如此然祁公夀考終吉萊公晩有南遷之禍雖其不幸亦可以為戒也
書き下し
鄧州の花蠟燭、名、天下に著る。京師と雖も造る能わず。相い傳えて云う、是れ公の燭法なりと。公嘗て鄧州を知る。而して少年より富貴にして油燈を㸃ぜず。尤も夜宴・劇飲を好む。寢室と雖も亦た燭を燃やして旦に達す。官を罷めて去る毎に、後人官舍に至れば、厠溷の間に燭涙の堆を成すを見る。杜祁公の人と為りは清儉なり。官に在りて未だ嘗て官燭を燃やさず。油燈一炷、熒然として滅せんと欲す。客と相い對して清談するのみ。二公は皆な名臣為り。而して奢儉の同じからざること此くの如し。然れども祁公は夀考にして吉に終わり、萊公は晚に南遷の禍い有り。其の不幸なりと雖も、亦た以て戒と為す可きなり。
現代語訳
鄧州の花蠟燭は、その名が天下に知られていた。都でさえ作れなかった。言い伝えでは、これは寇準の蠟燭の作り方だという。公はかつて鄧州の長官であった。そして若いころから富貴で、油の灯りを点さなかった。とりわけ夜の宴と痛飲を好んだ。寝室でさえ蠟燭を燃やして夜明けまで過ごした。官を辞めて去るたび、後任の者が役所に着くと、厠のあたりにまで蠟の涙が山を成しているのを見た。杜衍の人となりは清らかで倹しかった。官にあって官給の蠟燭を燃やしたことがなかった。油の灯りひとつが、ちらちらと消えそうであった。客と向かい合って静かに語るだけであった。二人ともみな名臣である。それでいて贅沢と倹約の違いがこのとおりであった。しかし杜衍は長寿を保って良い終わり方をし、萊公は晩年に南へ流される禍いに遭った。それは不幸ではあるが、やはり戒めとすることができる。
解説
この章句が説くこと
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『塩鉄論』結和篇文學曰く、往者、匈奴と和親を結び、諸夷貢を納め、即ち君臣外內相信じ、胡・越の患い無し。此の時に當たりて、上の求むること寡くして贍し易く、民は安樂にして事無く、田を耕して食らい、桑麻して衣、家に數年の蓄え有り、縣官に貨財餘り、閭里の耆老、咸な其の澤に及ぶ。是れより後、文を退けて武に任じ、師を苦しめ眾を勞し、以て無用の地を略り、郡を沙石の間に立つ。民は自ら守る能わず、屯を發し城に乘り、輦を挽きて之を贍す。愚竊かに其の亡うを見て、其の成るを睹ず。
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