宋名臣言行録 / 後集巻四・胡宿
公又以為登萊視京師為東北易艮少陽之位也今二州並置金坑多聚民以鑿山谷陽氣損泄故隂盛而動縣官入金嵗㡬何小利而大害可即禁止以寜地道
新字:公又以為登萊視京師為東北易艮少陽之位也今二州並置金坑多聚民以鑿山谷陽気損泄故陰盛而動県官入金歳㡬何小利而大害可即禁止以寜地道
書き下し
公又た以爲えらく、登・萊は京師より視れば東北と爲す。易の艮、少陽の位なり。今二州並びに金坑を置き、多く民を聚めて山谷を鑿つ。陽氣損泄す。故に陰盛んにして動く。縣官の金を入るること歳に幾何ぞ。小利にして大害なり。即ち禁止して以て地道を寧んず可しと。
現代語訳
胡宿はまた考えた。登州・莱州は都から見て東北にあたる。易の艮、少陽の位である。いまこの二州はともに金の坑道を設け、多くの民を集めて山谷を掘っている。陽の気が漏れ失われる。だから陰が盛んになって動く。役所に入る金は年にどれほどか。小さな利益であって、大きな害である。ただちに禁止して地の道を安んずるべきである、と。
解説
天変の説明を長く積んだあとで、最後の二行に実務が出ます。**役所に入る金は年にどれほどか。小さな利益であって、大きな害である。**採算の話です。多くの民を集めて山を掘り、入ってくる金はわずかしかない。易の位と気の説は、その結論を通すための言葉でした。当時、鉱山開発を止めるには、こう言うのが最も効いたのでしょう。**ただちに禁止して地の道を安んずるべきである。**
この章句が説くこと
今二州並びに金坑を置き多く民を聚めて山谷を鑿つ陽気損泄す故に陰盛んにして動く県官の金を入るること歳に幾何ぞ小利にして大害なり即ち禁止して以て地道を寧んず可し鉱山採算
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